生きがいと仕事とやりたいことなどが少し整理できた。その感覚的なことをまとめてみたけれど・・・。感覚を文字にするのは難しいですね。

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まだ僕が中学生の時、僕は運動が大好きでした。

中学3年の初夏でバスケット部を終えた後、陸上部に入部しました。

とりわけ、砲丸投げの才能があり、北信越(長野県)という少し大きな大会でも3位になる

ほどでした。

この時のことを、ふと思い出して、懐かしんでしました。

あの当時、誰に言われるでもなく、すべてを砲丸投げの練習に意識を繋げていました。

腕立て伏せ、懸垂といった部活動内で行う練習はもちろん、学校の行き帰りも・・・。

特に大会の1週間前くらいからは、大人用の砲丸玉(5.25kg)を体操着を入れるバッグに

入れて通学していました。

ずっと重いものを持っていれば、大会当日の子供用の2.43kgの砲丸玉は軽く感じるはずだ!

そうすれば、記録も伸びるはずだ!と、とにかく、すべては砲丸投げの記録のために意識が

繋げられていました。

好きだから、そうした生活のすべてが砲丸投げにフォーカスできていたのだと思います。

僕は多くの仕事を経験してきたけれど、それは自分の生きがいと呼べる仕事を探す旅でもあ

りました。結局、見つかってはいません。

嫌いではないから続けられている仕事・・・それが天職なのか?

そんな風に思うようになり、しばらく今日まで生きてきました。

しかし、ようやく見つかりました。

僕は、どの業界の仕事をしても、段取りが悪い事が嫌いです。

また、段取りが悪い人や仕組みを見つけるのが得意です。

そして、そうしたところを改善するアドバイスをすることが得意です。

きっと、僕の天職は、困っている人を助けたり、効率の悪いところをアドバイスしてあげる

ことなんだと気が付きました。それで、喜んでもらえたり、便利になってもらえることに喜

びを感じます。

だから、どんなに仕事をいろいろ経験しても、これだ!という仕事が見つからなかったわけ

です。しかし、そうやっていろいろと仕事を経験することで、どんな仕事を前にしても、便

利になる方法や困っている人を楽にしてあげられる方法を僕の中に蓄積することができま

した。

今までの仕事の経験は、困っている人を助けたり、困りごとを探して解決するための道のり

だったのだと確信しています。

困りごとを見つけ解決してあげられることが大好きです。それは、中学の時の生活のすべて

が砲丸投げにフォーカスしているような感覚になるほど大好きです。

僕のすべては、人の困りごとを解決するために繋がっている!

そう思えば、毎日の運動も、自分のお身体がしっかりしていないと人助けは出来ない!とい

う考え方にシフトするので、ちっとも苦になりません。

まぁ、この記事はうまく最後まで書けませんが・・・

自分のやりたいコトが見つかった今、苦労は苦労でなくなり、そのやりたいことをするため

のトレーニングであると考えられるようになりました。

そして、収入についても、その収入でさらに多くの困りごとを解決できる!と思えるように

なりました。どこか、お金を稼ぐことに対してネガティブな印象を持ってしまう僕ですが、

そのお金をさらに多くの困りごとを解決するための手段として使うという解釈をすれば、少

し楽になれます。

だらだらと書き綴りましたが、いずれ、この気持ちがうまくまとめられるようになったら、

あらためて書こうと思います。

・・・・オノマトペ。