僕の考え方のクセ。自らの道しるべに今の自分を解析することで、いつか役立つと思います。(健忘録)

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プロセスにこだわり目標が違うところに定まってしまう

簡単に言うと、勝てばいいのだけれど勝ち方にもこだわってしまいます。そして、そうした勝ち方でないと、本当に勝ったとはいえないと思ってしまう性格です。

たとえば、勉強の場合

受験や資格試験の場合「合格」することが目標です。

僕も「合格」を目指して勉強を始めます。しかし、途中から目標が薄れ、違う目標とすり替わるか、違う目標や条件も一緒に達成しないと意味がないような感覚になってきてしまいます。

点数が上がらない僕は、どうやったら点数が上がるかを考え始めます。

すると、点数を上げるテクニックの一つとして、過去の問題を解き、傾向と対策を練るという方法を見つけることになります。

その方法を進める人たちの意見としては、

  • 過去の問題から出題傾向を知ることができる
  • 自分の得意分野を知ることができる
  • 得手不得手が分かるので問題の取捨選択ができる

要は、出題傾向を知りヤマをはり、出題傾向のある問題の中から得意な部分を伸ばし、そういう問題から先に解くことで点数が伸びるというのです。

出題の切り口こそ違えど、勉強で重要な部分は変わりようが無いため、出題の傾向は毎年同じようになるというのです。出題の傾向が同じであれば、得意な問題は確実に解けるようにして、さらに切り口を変えた出題でも解けるようにしておくことで、高確率で点数が取れるというのです。

そのテクニックを受け入れられない僕の理由

出題傾向は毎年安定しているとはいえ、勉強とはそもそもすべてが大事だと思っています。

だから、出題傾向をもとにヤマをはって、もし、そのヤマが外れたらどうするのか?

そういう事にならないように、僕は、全部の領域を勉強しようとします。先述の通り、勉強とはすべてが大事なのです。点を取るためだけのものではありません。

だから、そうしたテクニックに頼った勉強は、本当の勉強ではないと思ってしまいます。

そもそも勉強とは何一つ無駄なものはなく、学ぶべきすべての知識を身に付けることが重要で、そのうえで点数を取らなければけないと思うのです。

お気付きですか?ズレ始めている事に。

ここで目標が新しく出てしまったことにお気付きでしょうか。

最初の目標は「合格」であったはずなのに、全てを勉強し、身に付けることが重要で、そうした勉強をしなければいけない・・・という、隅々まで勉強するという目標が出てきました。

結果的に”隅々まで勉強して合格する”という合体した目標が出来てしまいました。

”すべてを勉強する”という勉強の”プロセス”に条件を与え、自分には死角がない状態にしてから合格するという、合格の仕方に”こだわり”を持ち始めています。

  • すべてを勉強する(死角がない状態にすれば、ヤマをはらなくてよい)
  • 合格する

合格するという目標の他に出た目標のために、頭の中では『合格すればいいのだから、点を稼ぐことだけに注力して、精神論的な事にはこだわるな!とする考えと、そもそも勉強とは何ぞや。』という考えが葛藤することになります。

こうして、勉強に対してスジが通らないまま勉強を続けることになります。

こういう風になってしまうのが、僕の思考回路のクセです。

そもそも「合格」するということと「勉強する」というのは別々の目標にすることであり、一緒にするものではありません。

  • 「合格」のためだけにテクニックを使い合格する
  • 「勉強する」ことを目標に、本当に深いところから隅々まで理解しながら勉強する

このように分けて考えれば、とてもシンプルです。

たとえば、仕事の場合

みながWin-Winになることばかり考えすぎて、仕事の成果が出ない。

僕だけが儲かることに後ろめたさを感じるので、みなが均等に儲かる方法を考えすぎるあまり、チャンスを逃したり、途中でプロジェクトが崩壊します。

仕事は利益を出すことが目標。

だとすれば、分け前の比率のことなど後回しで、仕事を利益の生み出す形にするべく邁進するはずです。みんなのことを考えすぎて、1円も利益を生み出さないのは仕事ではありません。しかし、最初に利益配分のことばかりを考えてしまうクセがあります。

”取らぬ狸の皮算用”とはよく言ったものです。

まず、考えなければいけないのは何なのかをハッキリさせる。そういう、一呼吸つく癖をつけて、冷静に、まずやるべきことを全力でやる。それ以外は考えない。

僕は、まだまだ、優先して考えなければいけないことが何なのかを見失うので、注意したいと思います。

僕の営業テクニックの中に雨の日に営業するというのがあります。悪天候に営業すると、相手も暇なのか話す時間を長くとってくれます。結果的に注文が良くとれます。

これをもし、晴れの日のライバルひしめき合う状況下において、営業して取ってきた注文こそ、本物の受注だと考えたらどうなるだろう?

注文をとることが目的なのに、注文の取り方(プロセス)にこだわり、そういう注文の取り方をしなければいけないと考えてしまったら?

先程の「合格」の時と同じ思考回路ですよね?

きっと、僕の正義心がズルをして注文を取る事は美しくないというアラーとを出した結果なのかもしれません。しかし、良く考えてみると、人より売り上げを上げるために考え抜いた「雨の日営業」は素晴らしいアイデアなわけです。

そういうアイデアを思いつくことが素晴らしいのですが、もう一人の自分が、それを”ズル”だと言います。反対やクレームならいくらでもできますが、その際は代案をもっている事が大前提です。

ただ美しさや正義にこだわることで、目標を達成できなければ、単なる思想家でしかありません。そして、雨の日に営業したとはいえ、それは”ズル”ではなく”賢い”と考えれば、許せるはずなのです。

「合格」のためのヤマをことも、勉強の取り組み方云々の前に、そのやり方は”賢い”と思うことで、僕の思考パターンは変わってくれそうです。

まとめ

目標を一緒にしない。

合格は合格、勉強は勉強というように考え、勉強はこうあるべきでそのうえで合格するべきなどというように、難しく考えない。

合格は合格すればよい。

勉強は、納得するまでとことんやればよい。

ただ、今、何が最優先なのか?

最優先事項が「合格」することならば、まずは「合格」という目標を達成しよう!そこには、勉強方法のこだわりは必要ない。「合格」したあとに「勉強方法」にこだわり、納得するように勉強すればいいのです。

「勉強方法にこだわり、合格もする。」という目標は、多くの場合、”二兎追う者は一兎も得ず”という結果となり、時間の無駄を招きます。

同時に目標を達成するということに価値があるのなら「勉強方法にこだわり、合格もする。」ように頑張れば良いが、同時に目標を達成することに何の価値があるのだろうか?

難しいことを同時に二つできた!ということだけで、それはたいした価値ではない。

それよりも、確実に1回で合格して、その後、深く勉強し専門家レベルの知識を持った方が価値がある。

同時に二つを達成するために何度も合格を逃す、知識も深まらない・・・挙句の果て、挫折する・・・それでも、同時に二つを達成することにこだわったという充実感が残り、それで人生楽しいのなら、それもまたよかろう。

しかし、最初の目標である「「合格」はしなかったのである。そこが重要ではないだろうか。

みなさまも、シンプルに優先順位をハッキリさせて、日常生活やお仕事に頑張りましょう!

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