結論を出したい病にとらわれたらする事。(健忘録)

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自分にとってなにか教訓めいたことがひらめくことがあります。

それをメモして、自分に判りやすくまとめようとし始めると、途端に矛盾点も見つかります。

そうした矛盾は気持ちが悪いので、なんとか筋の通ったものにしようと努力するのですが、どうしても腑に落ちて納得できるような論理にはなりません。

考えれば考えるほどわからなくなりますが、あともう一息だということも感じています。

そんな時ありませんか?

僕は、そんな時が年間10回以上あります。今までは、その都度、納得できるまで試行錯誤していましたが、今日、突然、こんなことを思いました。

例えが下手くそで申し訳ないのですが、その自分が腑に落ちる教訓めいた論理をカレーだとします。多くのスパイスが入り、完成するカレーです。

あともう一息!という状態は、カレーでいうところの、あと何か一つ足りない味・・・とでもいうのでしょうか。でも、何を加えたら味がまとまるのか分かりません。

ここで、やみくもに何かを加えることでカレーは失敗します。

たぶん、そんな事なんだろうと思います。

自分の納得できる、心がストンと腑に落ちる論理に、今一つ決め手がない時は、無理にあれこれ自分を説得させる理論を付け加えるよりも、ただ待つ・・・カレーなら、煮込む・・・という事が大切なのだと思います。

そうしているうちに色々な考えがうまく煮込まれまとまってきます。その時初めて、何が足りないのか気が付くのだと思います。無理に余計なスパイスを加えないということが実は大切なんだと気が付いたわけです。

今、僕には、もう少しで腑に落ちそうなんだけれど論理としてまとまり切れていない考えがあります。それは、楽しみの先に厄介な事があり、その厄介な事をしたくないと言って、目の前の楽しみをやらないというのは、人生で損をするのかということです。

少しでも人生を楽しみたいならば、目の前の楽しみをやればいい。けれど、そうすることで厄介なことが増えることが目に見えているので、予防線を張って、ここまでは楽しむけれど、ここからは楽しむことができなくなるから、やらないようにしようと最初に決定することが良い方法ですが、これはあまりに身勝手で、巻き込んでしまった人に対して失礼ではないかと思う自分もいるのです。

そうなると、人を巻き込まない程度で自分だけでコントロールできる範囲で楽しむということがベストな方法となります。

つまり、目の前の楽しみを行う時、その先に厄介な事があるかどうかを基準にするのではなく、その楽しみは自分一人でコントロールできるものなのかどうかを基準にすれば良いということです。

・・・でも、それでいいのか?

そんな風に考えがまとまらずにいます。

こういう時は、そのまま無理に考えという余計なスパイスを投入せず、じっと待つ。

これが良いと思います。