現代では、新しいタイプのイライラがあると僕は思うんです。早い!が常識になってしまったからこそのストレスに気が付けば、少し楽になるかもしれません。(健忘録)

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最近・・・・短期になってきたようだ。

ちょっとしたことでも、待つことができない。

人の説明も結論から出ないと、”あーじれったい!”と感じる時がある。

僕は、この原因は世の中がスピーディーになったことが影響していると考えます。

例えば、スマホでWebサイトを検索していて、すぐに表示されないとイライラ

しませんか?僕は、イライラしてしまいます。

ほんの10年ほど前なら、まだまだパソコンの通信環境も遅かった。

画像の表示も遅く、それが当たり前だった。

遅くても表示されるのを待つのが当たり前で、待てば素敵な情報が表示されるので

イライラするというよりは、表示されるのが待ち遠しかった。

今では、テレビのチャンネルを変えるかの如く、すごい勢いでネットも表示され

検索結果もあっという間!

知りたいときに知りたいことが、あっという間に表示される。

知りたいと思ったときに、ほぼ瞬間的に情報を手に入れることができる環境が今。

直感的にドンドン情報を見ることができる。

どうやら、僕はこれに慣れすぎてしまったのではないかと思うんです。

自分が知りたいときにすぐ知りたい!待ちたくない!

これが、よくないんだと思います。

機械相手にも、

”まぁ、こんなものだろう・・・、昔に比べたら十分早いよ。”

という気持ちが必要です。

相手が人間ならなおさらで、相手にも相手の時間がある。

相手には相手の伝え方がある。

こういうのを忘れ、わがままになってはいけない。

逆に、知りたいことがすぐに知れるということで、自分の時間が余るときがある。

そして、思いつくままにドンドン調べてもドンドン解決する。

身体が追いつかず、疲れる。

そして、時間が余るので、その時間がもったいないと感じることで、何かをしな

ければ!という強迫観念に似た気持ちが芽生える。

疲れた体ではあるけれど、無理くり何かを見つけようとして、余った時間を埋める。

そうした行動にストレスを感じてイライラするときもある。

全てはバランス。

今、自分がどんな状態にいるのかを客観的に見れれば、どちらかの対処をすれば良い

だけなのだけれど、自分の事となるとなかなか客観視ができない。

・・・どうしたものだろうか?

まぁ、自分に対しても相手に対しても、そして機械に対しても「ほどほど」にという

気持ちをもって接すれば良いのかもしれない。

その「ほどほど」というやつがまたそれぞれに感覚が違うから困ってしまうのだけれど

全ての人が「ほどほど」に自分と向き合い、相手にも接しているんだという決まり事

がこの世の中の初期値設定であれば、それぞれの「ほどほど」は違うんだけれど、それ

を責めたりせず、自分も責められず、自分自身を責めることなくうまくいくんだろうな。

そうはいっても、無理だろうから・・・

「まぁ、そういうものだろう。」と何事に対しても、受け入れてしまえば楽になるかも

しれないなぁ。

・・・・オノマトペ。