セブンイレブンの野菜工場。これは、やばいね。人間の何かが削られるような気がします。

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このニュースを見た時、すごいなぁ・・・と思った。

けれど、これでますます変な方向に進んで言っちゃうなぁ・・・とも思った。

なにか、価値観だとか有難さだとか、そういった形になって見えない大切な、人間として薄れてはいけないものが、薄れていってしまうような危機感を感じた。

野菜は農場ではなく工場で作る

未来を感じる。

けれど、なんか気持ちが悪いね。とはいえ、野菜にとって成長や栄養を蓄えるための天候管理をLEDの光が行っているために、ちゃんとした野菜ができるんだとか。

テレビで放送されたメリット

  • 品質の整った野菜の提供
  • 天候に左右されないので異常気象による野菜不足と高騰を回避
  • 虫が付かないので無農薬で栽培できる

こんなところをメリットとして挙げていた。

確かにそうだし、きっと僕も知らず知らず、ここで栽培された野菜を食べることになると思う。

大事なものが希薄になる

野菜の高騰は確かに困るのだけれど、だったら作れよって思う。日本列島全体が災害になるわけじゃないし、もっと国が奨励して作り手(農家)を大事に育てろよって思う。

これじゃあ、ますます、農業離れが進むばかりじゃないか。もしくは、この工場を農家に管理させるとかね・・・。

とにかくさ、野菜でもなんでもそうだけど、その季節に食べられる「旬」というものがあって、それを食べることで季節感を味わうわけです。

今年は不作でほうれん草が高くて食べられない・・・ここに、ほうれん草のおいしさやありがたみがあると思う。

殺生していただくということのありがたさも薄れるような気がする。

どうせ工場でジャンジャン作っているんでしょ?

別に捨てちゃっても残しちゃってもいいやって。

だいたい、田舎で見かける、おじいさんやおばあさん。腰が90度に曲がっちゃって、地面しか見えないで歩いている・・・そんな方々のお陰で、戦後復興を遂げてきたわけ。

そういう人たちに恩を返すために何をしたのか?

こういう機械化で、その人たちから仕事や農地までも奪っちゃった。

どう考えてもおかしいだろう?

さっき写真見てみてよ。あの異常な感じ。野菜は土が良く似合う。太陽や風、雨・・・。

野菜の安定供給のために、大事なものが無くなっている気がする。

それでいて、ニュース番組では該当インタビューで都合の良いところだけ放送しちゃう。

質問された一般人だか、健康志向の高そうな主婦はこう答える。

「安心です。農薬が無いので体にとっても良さそうです!」

そういう都合の良い回答だけ放送されちゃうものだから、どんどん変な方向に行っちゃう。

とはいえ、あらがえない

さんざん、正論めいたことを言っても、この僕だってそのサラダは食べてしまうと思う。だって、仕方ないもの。便利だし安いし。けれど、これはおかしい状態なんだっていう事を常に意識していないといけない。

昔、水をペットボトルで売られているのを見て、水なんか水道から出ているのに何で買うのか?と思っていたけど、それが当たり前になっちゃった。

今でも、僕は当たり前だとは思っていない。けれど、水は買う。今は、それでいいんだと思う。

そういうことが世の中では当たり前になっても、それは普通ではないという意識を持っていればいいわけで、そういう考えをこうして伝えれば、いつか大きな声となるんだと思う。

脱線の話し

こういう機械化・・・ITだのAIだの、ものすごく身近になってきていて便利になってきた。パソコンが身近なものではない時から、パソコン業界に関わっている僕にとっては、この進歩すごい。

けれど、それで人間が便利になった一方で、どうして仕事がなくなる人間が生まれるんだ?

便利にするとは、人間が楽をする為に機械に仕事をさせるわけなのに、一向に人間は楽にならない。機械に仕事をさせることで生まれた時間で趣味に興じたり、テレビを観て横になったりしているかといえばそうではない。

そんな風に楽になるどころか、AIに人間の仕事がとられてしまうという業界まで出てきた。

おかしいじゃないか?!

ゆっくり家族サービスや自分の時間を持ちたくて、技術を進歩させてきたのに、仕事まで取り上げられて、明日、食べていくにも困ってしまう状況は馬鹿としか思えない。

昔、「赤信号みんなで渡れば怖くない」なんていうコントがあったけれど、機械化で楽になった文の時間は、みんなでサボればいいんだよ。

そういうことで、サボりやすくなる。日本人は、そういう人種だ。

そうやって、みんなが休んでいるのだから僕も休もうみたいなところから、世論になっていってもいいんじゃないかと思う。

まとめ

このテーマに付随して、脱線の話しはつきないけれど、これは大きな問題になると思います。だからこそ、そこにある背景や、携わる人々の生活や気持ち、そして本来あるべき人間の姿を、それぞれが人間らしく考えることが必要です。