好きなことと楽しいことは変わって当たり前だということを言い聞かせる【健忘録】

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好きなこと・楽しいことをやり続けるために

ジオラマの醍醐味は、実は、細かな部分の再現性です。

ある人に教えられました。

『神々は細部に宿る』 …と。

ジオラマ制作において、細かな部分は、最後につけ足していきます。

ガスメーター、電気メーター、プロパンガス… などなど。

その部品作りの時間は、家屋であれば大枠が組みあがるまでの時間にも匹敵します。

それゆえ、細かい部品をあらかじめ用意しておかず、いざ必要になったときにその場で作り始めようとすると、その段階になって気分が「嫌」になり始めます。

細かい部分だからと雑に仕上げると、作品は死んでしまうことも知っているから、手抜きができずに、意欲もわかずに時間だけが過ぎてしまいます。

こうならないためにも、作品を手掛けていない合間に細かな部品を時間に追われることなく丁寧に作ってストックしておくことが、重要だと思います。

そうすることで、ジオラマ制作の進行状況が滞りなく進むのです。

もちろん、時間のある時に作るのだから、細かい部品とはいえ、手抜きにはならず、良いものが作れます。

こういう準備があってこそ、安定した製作日数がキープでき、良いものを安定して世の中に出せるのだと思います。こうしたことは、とても重要なことです。

ただし、そうした段取りを考えるあまり、やらなければいけないという「義務感」や「責任感」から、楽しくなくってしまうような状況をつくってはいけません。

「好きなことを楽しくする(作る)!」これが大前提であることを忘れてはいけません。

自分を苦しめないために書いておく

「今」は『懐かしい情景』で、より多くの人を懐かしがらせることを目標にとして作品を作っています。

けれども、未来はどうか?

この先の自分に言っておくならば、その目標は変わっても良いということです。

自分が、「楽しい・好き」と思って作っているなら、それで良い。

懐かしさにこだわり続ける必要はない。こだわり過ぎて、楽しくなる方がよっぽどいけない

「だって、趣味が変わったんだもの~。」という、所さん的な考えで、そのように変わった自分を許してしまおう(というか、自分を責める必要はないのです)。

「懐かしい」ものを作らなくなった…と、変わってしまったことに対して、私自身が罪悪感や挫折感・初志貫徹ができなかった時のような気持ちになってはいけません。

変わるのが当たり前、変わらないように意固地になることで、楽しくなくなる(つまらなくなる)ことの方がよくないのです。

所さんは、どうだろう?

自分の趣味嗜好・思考が変わることに罪悪感を持っているだろうか?

『仕方ないじゃ~ん、人間、いや、私なんて、そんなもんだよ~♪』

と、ヒョウヒョウとしているだろう… きっと。

自分の心の奥の懐かしさに火をつけ、そこから湧く私自身のエネルギーにつなげるための
「昭和」的なジオラマアイテム制作が、そもそものジオラマ制作をするキッカケでした。

そのうちに、私の作品を見て一緒に懐かしむ人が出てきたので、そういう人たちの懐かしさを思い出すキッカケになるものを、今は作っている…(すでに変化はしているのです)。

そのあとは?

今後、どうなるかわからないけれど、ジオラマが楽しくなくなったらやめて結構なのです。

ジオラマづくりが楽しくて、好きなら作り続ければよいのです。

たとえ、「懐かしさ」がテーマで無くなっても、人に懐かしさを与えられなくても、ジオラマを作りたいと思ったら、作っていればよいのです。

売れないとか、収入が減るとか、そういうことは考えない。

好きだから作る。

もし、そこに欲しい人がいれば売る。

ただそれだけです。

欲しい人がいるであろうところに向けて作品を作る… という考えは捨てなさい。

自分が好きだから作っている。

需要があろうがなかろうが、それが好きだから作る。

そこを忘れてはいけない。

好きなことをやっていれば、その時々で、その楽しさにひかれて集まる仲間がいます。

そうやって、常にその時々で楽しく好きなことをやり続ける。

仲間が変わっても良い。

常に楽しいことをやり続けることが重要です。

そうやって人生(時間)を楽しさで埋めていくこと。

極力、いや、強制的にお金のことは忘れなさい。

途端につまらないものになって行くから。