私の私自身を鼓舞するための自分史。【健忘録】

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何気なく人生を振り返ると…

小学校6年、リレーのアンカー。
順位は3番手(?)でバトンをもらい、トップとは20mほどの差がありました。
ごぼう抜きでゴールをしたことが、とても記憶に残っていて、思い出すと嬉しくなります。

中学ではバスケットの選手。
3年生の時、郡の大会で優勝。
次の大きな大会に進むも1回戦敗退。バスケ部は卒業。
その後、郡の陸上大会に出場して砲丸投げで優勝。
そのまま陸上部に転部。
次の大きい大会に出場するも4位で終了。その次の大きな大会へは進めませんでした。
そこから受験勉強をし、第一志望へ合格。
中学時代、部活を2つもやり、勉強も頑張ったあの時代…
我ながらすごいなぁと思います。

高校では体罰に耐えかねて2年の時、バスケ部を退部。
その後、陸上部に移る計画をしていたけれど、先生の大人の裏切りにあい断念。
3年の時、バスケのクラスマッチで準優勝とは聞こえがいいが…
実は、決勝戦に私のワンマンプレーさく裂し、チームの優勝を逃してしまった。
最後の最後の試合で、大事にして実行してきた”みんなで楽しむスポーツ”を実践せずに負けたことが悔しい。後悔している。
クラスマッチでは、女子のバスケットの監督をして、優勝することができた。
これはこれで嬉しい。
同じくクラスマッチではソフトボールにも参加。
ソフトボールはピッチャーをやったりショートをやったり…
ファインプレーもでき、優勝もできた。
文化祭の寸劇では主人公を務め、文化祭でクラスが総合優勝できたのもうれしかった。
ただ、寸劇では、強面の後輩を手名付けるといったアイコンタクトが寸劇の優勝に導いたのではないかと…今でも後悔している。
ソフトボール練習試合に予告ホームラン達成。
ホームでずっこける。
恥ずかしくて様にならなかったが、今となっては私らしい。

社会人になり、テレビに出られたこともうれしい。
頑張っても出れられない人に比べたら、あまり本意ではなかったとしてもニュース23などでコメントできたのは、良い思い出です。

そうやって、成長に伴い、郡の少年から一つ大きな町、そして成人してから全国区へと出てこれた。当然、皆が知るような有名人ではないし、自己満足だけれども、先に述べたように、そうしたいと思ってもそうできない人からすると、一瞬でも大きな世界に登場できたのは、うれしい。

これからは、世界を目標にしたい。
世界の何かに掲載されることをジオラマ作りで達成出来たら嬉しいな。
ホビコムという日本国内で受賞したことは、良い経験。
もっと国内のメディアに登場し、次は世界で評価されるのが良いかな。

エネルギーが満ち満ちて、ワクワクしています!