【センドク】読書ノート 475冊目|日本が聞こえる

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参考になるかどうかはわかりませんが、読んだ本の感想などを書いています。
結構、好き勝手なことを書いています。ネタバレもあります。

40代後半まで読書嫌いできた私ですが、2018年9月に読書を始めました。
そんなきっかけはこちらです。
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2024年1月19日に、私の不注意からブログのデータを全部消す!?という失態を犯してしまい、なんとかデータの復旧はできたものの投稿日時がすべて”2024年1月19日”となってしまいました。
読了本だけでも読んだ順番ごとに並ばせたい!
…と、架空の投稿日時を登録しながら、記事の並べ替えを行いましたので、記事の投稿日と「読了日」が違うこともありますがご理解ください。
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せっかくの機会なので、過去の記事に対しての「てこ入れ」および「読書感想などの追記」を行っています。

読書ノート

タイトル名:日本が聞こえる

著者:さだまさし (著)

読了日:2023年4月16日

この本を購入した目的

たまたま手に入れた本「帰去来」。さだまさしの人生に興味がある。ワードセンスに興味がある。何かと私と接点が多い…ということで、こちらの本を手に入れました。

私の目的について書かれている重要なページ要約と感想

どうしてあんな詩が浮かぶのか? 曲が生まれるのか?
どういう思考によるものかを知りたくて手に入れたのですが、そのポイントとなるページはなかった。その辺は「帰去来」の88ぺージあたりに書かれていています。

ただ、良いなと思う文章はいくつもある。

P36 「夜の頭は下を向くので、悩み事は夜するな。出来るだけ広い風景を見ながら、おてんとうさまの下で悩むように」と、かつて父が言った。

P67 「学校は勉強しに来る処ではない。勉強する方法を学ぶ処だ。学校を出たから勉強が終わりと思うから駄目なんだ。学校で学んだ方法で、実は学校を出てから真の勉強をするのだ」(恩師の言葉)

P69 確かにふろの水は右回りに排水口から出てゆき、海の月は左へ昇ってゆく。
⇒ この水の渦については調べてみたが、風呂程度の水では実験できない。ただ、大きく地球規模で見ると、右回り・左回りはあるそうだ。(コリオリの力)

P71 バタフライ・アイランドと呼ばれる美しい島がある。

P75 父の戦友「堂本さん」のお孫さんは「キンキ・キッズ」

P91 「小人閑居して不善をなす」
⇒ 徳のない、品性の卑しい人は暇であるととかく良くないことをする。

P107 赤ちゃんがともあれ「オギャア」と発生した瞬間、外の空気が肺の中へ入ってゆく。そして二呼吸目のためにいったん外へ出てゆくのだが、その問題のひと呼吸目の空気のうち、数パーセントが肺胞の奥に、一生残っている、という内容だった。
⇒ この前後も面白い。専門家に確認したわけではない話だけれど、とても興味が湧く内容です。最初のオギャーのための酸素は、どうやってためておくのか?赤ちゃんは一度「女」として作られ、その後「男」に変化する…とか、自分で調べたくなる内容です。

P115 「さだ君、フィールドが違うことを同じ土俵(数値)で比べては変だよ。…」(王さんの言葉)
⇒ いろいろ、土俵の違うところで凄い人がいるけれど、違う土俵の人を自分の土俵にのせて比較し、うらやんだり尊敬しても、そもそも土俵が違うのだから比べても意味のないことなのです。

P124 「継続は力なり」という言葉があるが、同じことを続けることが、どれほど「力技」かは、やってみた者にしか分からない。

P129 「これは違う、と思うことに抗議する”心”をロックって言うんだよ」(イーグルスのオジさん)
⇒ うるさく奏でるのがロックではないということです。

P142 「風の谷から」… 実は一度も行かずに曲を作った。無責任だとは思わない。村の案内パンフレットや観光用チラシ、また村誌をながめるだけで、こちらの想像力と創造力が動き出す場合だってある。行けば必ず良い、とも限らない。
⇒ 生真面目な私は、行かないといけないと思い込む癖がある。こう言ってもらえると、とても心強い!

P175 今の時代は、かなり短絡的な時代だ。一瞬のことですべてを決めつけられたり、ある一面ですべてを語られてしまう、そういう時代なのだ。

P176 香川県の白鳥町といえば、日本の手袋の七~八割をここで作る『手袋の故郷』で、この町から、実は世界中に手袋が送り出される町でもある。
⇒ 調べると、こんなサイトをみつけました。

P182 「青春の蹉跌」
⇒ 陳内みだろうと検索したが、どうやら映画らしい。『社会への一歩を踏み出そうとする青年が、自らの野望に固執するあまり、逆に破滅していく姿を鮮烈に描く。』さださんの十七歳のころ、ノイローゼになったことがあり、そのころのことを「青春の蹉跌」と回想している。

P183 で、ようやくその悩みをつきつめてみると”俺は何者だろう”という、哲学の入り口だったことが分かって、哲学書から宗教書まで、とにかく読み漁ったものだ。それにもくたびれた時、達した結論は「十七の若造に自分が何者かが分かるはずがない」であった。そこで何だかさっぱりとノイローゼから抜けるかわりに約束をした。「四十五歳になった時、俺は俺の顔を作ろう。それまでは仮の人生さ」と。その約束の日が、四月十日午前十時十分(母子手帳による)。いやぁ、これには参った。何でまた四十五歳に決めたのか、もう思い出せないが、冷静に、今の自分が約束を果たせるとも思わない。それで二年前に、約二週間ほど、また軽いノイローゼになった。”間に合わない”という恐怖からだ。でも今度は早く結論が出た。「四十五の若造に人生が分かってたまるか」だ。そこで、六十になったらと逃げた。どうも問題を先送りする性格のようだなァ…。
⇒ ここのくだりは、私にもすごく伝わる部分があり、あぁ、人間とはそういうものかと、少しばかり安堵しました。

P196 「貧の友は真の友」。

P202 …とにかく家を担保にしてまで集めた貴重なフィルム群は、近代日本史の「生き証人」。世界中の何処にもないものが佐々木さんの手元にあるのだ。こういうこだわり方をする人が、俺は好き。

P206 アメリア・エアハートは「女リンドバーグ」と仇名された一九三〇年代のアメリカの女流飛行家。
⇒ 調べてみるとかなり面白い

P211 「一億総白痴化

P219 「夢に力があれば、必ずそれは叶う」…「夢ごこち」では「夢」ではない。「強い夢」が欲しい。…。

P247 「願い」は「純」であるほど強いエネルギーを生み出す。…今日の栄光は常に先人の努力と汗の上に咲くものなのだ。
⇒ なにか成し遂げたときなど、その栄光は、先人たちの努力があってこそだということを、忘れてはいけないということです。

P256 「禍福はあざなえる縄の如し」というけれど『福』の方を少なく感じてしまうのは『欲』のせいだろう。
⇒ 災禍と幸福とは、糾った(縒り合わせた)縄のように表裏一体であり、一時のそれに一喜一憂しても仕方がないということ。

この本は、私の目的を達成させたのか

さださんの思考回路を垣間見ながら、自分と重ね合わせました。
共通項も多く、これは人間であれば仕方のない感情でもあるのかな?と安心したりしました。

この本についての感想

ことわざや雑学… そうしたところから私の興味がどんどん外に向きました。
調べたり、確認したり。。。
少しだけ、人間としての幅が増えたような気がします。

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