須坂高校「りんどう祭」
私の高校は文化祭と体育祭が一緒になった「りんどう祭」があります。
毎年、3日間かけて行われます。
「りんどう祭」の開催は『龍』の建立から始まり、『龍』を解体してグランドの中央でキャンプファイヤーとして燃やされ、その火の周りでフォークダンスを踊りまくり、幕を下ろします。
『龍』は、3年生が設計し、全校生で作り上げます。
下の写真は、私が3年の時に同級生が設計し建てられたものです。
りんどう祭に近づく季節、毎年、少しだけ申し訳ない気持ちがこみあげてきます。
SNSがあるじゃないか!
毎年、どうして申し訳ない気持ちになるかというのは、あとで説明するとして、
「SNSでお詫びとお礼を言えばいいんだ!」と、急に思い立ちました。
特別企画「30人31脚」
さかのぼることウン十年。
どこか、腹の深いところにずっと消化されずに引っ掛かっていたこの感覚‥‥
ようやく、すっきりできそうです。
高校3年、最後の文化祭「りんどう祭」。
私は特別企画委員長になり「30人31脚」を企画していました。そのイベントの取材を地元の新聞社にお願いしてあり、”何としても成功を!”そんな風に意気込んでいました。
それまでの特別企画は「大縄跳び」が数年続いていました。
私の性格上、何か違ったものをやりたくて「30人31脚」に決定しました。
当日に重なるハプニング
イベントの時間になっても参加予定者の人数がそろわない。
体育祭も同時進行なので、試合が長引くと参加予定者のスケジュールがズレてきます。
30人31脚は予定通り開催しなければいけなかったので、今まで練習に参加したことのない人たちで人数を揃えようとしました。
参加者も運営者も声をあちこちにかけたおかげで、どんどん人が集まりました。
この時の一体感には、とても心強さを感じました。
気が付くと30人を超えてしまいました。
新聞記者の姿がない
イベントの時間になっても新聞記者の姿がありません。
新聞社に電話しても、担当者は私の高校に出かけたということで、足取りは不明に。
新聞記者がいないので探す!
その時間稼ぎもあって、30人31脚の人数集めを続けていたのですが、とうとう見つけられませんでした。
せっかくの思い出が新聞に載りません。
これが1つ目の謝罪です。
時間稼ぎが裏目に出る?
結局、新聞記者は見つけられず、探すことを諦めるころには「30人31脚」の参加者不足人数以上に参加者を集めてしまっていました。
せっかく声をかけて、やっぱり結構ですとは言い出せず、そのまま参加させようと決断しました。すでに80人くらいが集まってしまっていました。
もう、せっかくなので「30人31脚」を「100人101脚」に変更しました。
特別企画「100人101脚」
練習すらやったことがありませんが、あと20人を集める時間ができたので、その間に新聞記者が来てくれればと願っていました。
けれども、人数が集まる方が先でした。
あれよあれよと人が増え、『あと、一人、あと、一人!』のコールが校庭に響き渡り、最後の一人が隣の人と足を結んで、「100人101脚」メンバーがそろってしまいました。
ぶっつけ本番!
私は100人のメンバーに歩く練習をしてもらいました。
隣の人とたすきで足を結んだ状態で1回、2回歩いてもらいましたが、かなり大変でした。
企画の成功からはほど遠く感じました。
練習をやらせすぎると疲れてしまうし、どうして企画が始まらないのかと参加を離脱する人も出てくるかもしれない・・・。
そんな気持ちのやり取りの中、私は『もう待てない!』と決断し、本番開始を宣言しました。
奇跡!
高校生の結束力は、こんなにもすごいのか?
今思うと、あれは奇跡。
本当にうまくいきました。
1回目のタイムを超えるべく、2回目の挑戦も行いました。
もともと「30人31脚」では、2回のタイムを計測することになっていたと記憶しています。
1回目の記録を超えるために2回目の挑戦をし、どちらかよい記録が新聞に載る予定でした。
取材こそされませんでしたが、「100人101脚」は2回目の挑戦で30秒台の好記録が生まれました。
これには、参加者も大喜びをして、大変盛り上がりました。
けれども、私の中では、取材されていないことが大変申し訳なく思っていました。
盛り上がりのどさくさに紛れて、取材されていないことを公表しました。
2回目の記録を伝え、参加者と盛り上がる中、
『取材はないけれど、俺たちの記録○○.○○に万歳!』
といって、万歳三唱で何とか格好をつけました。
私には本当に申し訳ない気持ちが残りました。
※ちなみに、うちの高校は万歳!なんでも万歳!で盛り上がります。
謝罪の代わりに約束したことが2つ目の謝罪となる
新聞記者に取材されないという事実。
みんなの思い出が新聞の記事にならないということは、私には本当に申し訳なく思わせると同時に、私は嘘つきだという気持ちも連れてきました。
その気持ちを払拭させるために、私は別の約束をしました。
新聞に記録として残らなくても、自分たちの記憶にいつまでも残しておくための「証(あかし)」を作れば、いつまでも良い思い出が残るのではないかと考えました。
その「証」が缶バッチでした。
参加者一人一人の住所と名前をメモしてもらい、新聞には載らなくても100人の偉業を
缶バッチにして届ける約束をしたのです。
これも高校を卒業するまでには実現できませんでした。
高校生のお小遣いでは、手作りをしても実現は難しく、いつか、いつかと先延ばしするうちに、その名簿もどこかに行ってしまいました。
このことは私をさらに嘘つきだという気持ちにさせました。
ずっと、腹の奥底で引っ掛かかり、ウン十年も過ごしてきました。
31年後のお詫び
「100人101脚」参加者名簿もなく、缶バッチを届けることはできません。
新聞記事に掲載される予定が、取材もされず掲載されない。
そのお詫びとして缶バッチの制作とお届けを約束したけれど、それも果たされず、名簿もなくしてしまうという始末。
「本当にごめんなさい。」
もし、このSNSでつながっている友達から、どんどんこの記事が広がって、当時の参加者の目に触れるところまでいけば、私のお詫びを届けられるのではないかと思いました。
「100人101脚」に参加してくださったみなさま。
小雨が降り脚も痛くなる中、イベントに協力してくださいまして、ありがとうございました。
しかし、私は、新聞記者を探すことができませんでした。
結果的に、皆様の頑張りが広く知れ渡り、記事に残る思い出にすることはできませんでした。
その代わりに、100人が持つ特別なバッジを作り、思い出を共有することを約束しました。
けれども、それも、私のルーズな性格も相まって、実現させられませんでした。
名簿さえ残していれば、その住所にバッジを送ることで自己満足はできたと思います。
『そんなことしても無意味だ。』という、もう一人の私の声に、ついには私自身が億劫な気持ちとなり、いつかやる、いつかやると先延ばしにした結果、名簿をなくしてしまいました。
本当に、本当に申し訳ございませんでした。
お許しくださいますよう、お願い申し上げます。
もし、心当たりのある方、そして、「100人101脚」に参加したという方をご存じであれば、この記事をシェアしていただければ幸いです。
この期に及んで、更にお手数をお掛けすることになってしまい、重ねてお詫び申し上げます。
この記事は、私の腹の奥でウン十年もひっかかっている後悔を綺麗にするためだけのものです。それゆえ、きっと「100人101脚」に参加された方がこの記事をご覧になっても、私の自己満足しか感じ取れないかもしれません。
けれども、私はお詫びがしたかったのです。そうして、自分を救いたかったのです。
どうぞご理解いただけますようお願い申し上げます。