吉田兼好について掘り下げたり、研究するつもりはありませんが「徒然草」という書物は、今でいうところの「ブログ日記」という感じがしました。
あらためて読むととても面白いです。
学生時代に読み方を習ったきりですし、とても原文を読む気にはなれないので、現代語訳を読みました。そうしたら、途端に親近感がわいてきました。
昔も今も人間の持つ思考のようなものは変わらないのだと安心しました。
確かに、目に見える住居や衣服、便利な機械や工具は驚くほど進化しました。
けれども、当時にも昔と今があって、昔の方が良かったといった感想を本の中で目にすると、いつの時代も変わらないのだなぁと思わせてくれます。
「徒然草(現代語訳)」は、小説のような続き物ではなく、どこから読んでも大丈夫です。
『人間として格好が良いというのはこういうことだ!』とか『こんな草木を植えておくと情緒がある』とか… 「粋」「品格」といったものを身に着けたいと考えている人は、特に読んだ方が良いと思います。
昔から変わらぬ「良し」とされているものを吉田兼好はピックアップしてくれています。
それらを読んで、『確かに、おじいちゃん、おばあちゃんが、昔そんなことを言っていた。』という自分の中の記憶とつながれば、それは紛れもなく吉田兼好が生きていた時代よりさらに昔から「良し」とされていたものだから、昔から変わらない良い物なのです。
そうした振る舞いを身に着けるということは良いことのように思えます。
徒然なるままに日暮し… この書き出しを現代語に訳すと
なんとなく一日中、硯に向かって、心に浮かんだいろいろな事をとりとめもなく書き始めたら、何かに憑かれたように筆が止まらない。
といった、とにかく、くだらないことをただただ書きました…といった謙虚なスタイルです。文中で才能をひけらかすようなことをせず、謙虚でいることが好ましいと説く兼好スタイルなのかもしれません。
ただただくだらないことが書かれている「徒然草」が、なぜここまで後世に残るのでしょうか?大したことのない文章がこれほど後世に残る理由を考えれば、これは謙遜だと分かります。それゆえ偉人なのです。
これだけ、後世にまで残るのは、それだけ多くの人が共感したということにあります。
普遍的なものが多く収められ、時代が変わっても共感できる内容だからこそ、時代を超えて残るのだと思います。私でも共感できるということは、それがまさに時代を超えたということでもあり、きっと、今後もずっと残るのだと思います。