裏運気
最近、どこか歯車が狂っているような気がしていました。
最近読んだ本で「裏運気」という言葉を覚えたので、きっと「裏運気」だなと考えていました。
そして昨日は、極めつけ!
カギをポケットに入れて外出したつもりが、普通のキーホルダーを持って出かけてしまいました。奥さんは仕事なので、奥さんの帰りを待つより他、自宅に入る術がありません。
昨日は、自宅を出るとき
「クチナシの花の匂い、久しく嗅いでいないな。そろそろ季節も終わってしまうし、嗅ぎに行かないとな…」
なんて思っていました。
自宅に入れないのは、クチナシの花の臭いでも嗅ぎに行きなさいという啓示なのかなと思い、持ち物を確認すると、バッグに読みかけの本が入っていました。
そういえば、珍しくバッグに本を入れて出かけたことを思い出しました。
それじゃあ、いつものクチナシの花の咲く公園に行こうと決め、そこで1時間ほど読書をしました。まとまって取れた読書の時間のおかげで、家に帰ってから続きを読み、あっという間にその本を読了することができました。
そして、日付の変わるころ、新しい本を読み始めました。
全てはつながっている?
新しい本を読み始め、今日も電車で読んでいるとその中の文章に気づかされることがありました。その言葉は、”最近、どこか歯車が狂っている”と私が感じることに対する、戒めの言葉でした。
それを読み、ハッと気が付いたことで、まるでつきものが落ちたように視界がクリアになりました。
全ては、このことを気づかせるための必然的な流れだったのかと不思議な気持ちです。
自宅に入れなくしたのも、そのお陰で次の本を早く読めるようになったのも、クチナシの花を思い出したことも…すべてつながっています。
その時々では気づけませんが、こうやってつながり大きな塊となったとき、はじめて気づかされます。本当に感謝の念でいっぱいです。
気づきから謙虚になることを再認識する
うまくいかないことが続いているときは、とにかく人の責任にしていました。
いや、実際、こちらには落ち度がなく、一方的に相手が悪いことは明らかなので、イラついても仕方のない状況ではありました。
お客様のことを考え、何とか良いものを提供しようとする姿勢が、協力してくれないいい加減な業者に敵意をむかせていたのだと思います。
でも、もう少し深く考えてみると、自分ならきっとお客様を満足させることができるというおごりがあったのかもしれません。そして、そうならないことに対して、周りに責任転換をしていたのだと思います。
自分に自信があるのは結構だけれど、自分だけではできないことを棚に上げて、自分はできると勘違いしているところが良くないのだと思います。協力してくれる工場や担当者を置き去りにして、自分だけがお客様に対して得意げに約束をしている状況は、反省に値すると気が付きました。
まずは、こんな自分にお声がけくださってありがとうという感謝、これが大事です。
好きなように生きている自分を見つけていただき、仕事の種まで提供してくださるなんてありがたいというよりほか有りません。
その次に、出来るだけのことはしたけれど、ここまでしかできなかったのであれば、どうしてできないんだと周りを責めるのではなく、それを相手に伝える。
その時に、ご要望に応えることができず申し訳ないけれど、私に声を掛けて下さり、ありがとう!という気持ちでお詫びをする。
出来ないことはできないのだから、イライラしても仕方がないし、イライラは私自身のおごりなわけだから、周りのせいにするのもおかしいわけです。
そんなことを一周して考えると、ただただ感謝、そして、できないことは伝えるというだけのシンプルなものになります。
伝えた結果、相手の反応はいろいろだと思いますが、それは仕方がありません。
出来ないものはできないのですから。
怒られようが、嫌味を言われようが…です。
ただ、お声がけくださったことは、本当にうれしいことで感謝に値します。
それだけは忘れてはいけません。
いつから私は傲慢でおごるようになったのか?
もっと、謙虚に生きなければいけないなぁ。