逆に、問題の解決が遅れていませんか?
能動的か受け身か?
私は、パソコンと一緒に育ってきた世代です。
生まれてから身の回りにパソコンやスマホ、SNSやYouTubeといった環境がすでに整っている世代の人間ではありません。
私が思うに、生まれたときにはすでにこのような環境があったという方たちの中には、YouTubeやSNSの情報は、内容が完成されていて当たり前だという考えを持つ方が多いように思います。
簡単に言うと、YouTubeであれば、その動画が見やすいとか編集が綺麗でないと、文句を言うという傾向にある方が多いように思えます。
そこにテレビ番組のような完璧さを求め、それら情報をまるっと鵜呑みにする傾向が強いのではないでしょうか。
視聴率とCMと企業の顔色をうかがうテレビ局であれば、番組のクオリティや情報番組のわかりやすさというものは重要です。
けれども、個人のYouTubeなどは、自分の求めている動画でなければ見なければいいのです。それを、どうしても文句が言いたくなる衝動を抑えきれず、コメントとして書き込んでくるのだから、どうかしてるぜ…と思ってしまいます。
私のようにパソコンが登場した時から一緒に成長してきた世代は、パソコンやSNSは道具であり、それをどのように使うかは自分次第という感覚があります。
テレビのように受け身で見るのではなく、使える部分は真似をさせてもらい、そこから創意工夫もします。すべてを鵜吞みにせず、自分流にアレンジするために、いろいろと参考にするものという認識があります。
つまり、能動的に情報を取捨選択して活用しているのです。
問題を解決したいのではないですか?
「おいしいパンの作り方」というキャッチコピーがあって、動画を再生してみたら、おいしいパンを作るための器具のテレビショッピングであれば、腹も立つと思います。
そういう動画も確かにあります。
いわゆるアクセスを集めるためのキャッチコピー勝負の動画がそうです。
それだとしても、黙って動画を閉じればいいと思います。
私の場合、音声もなく、字幕もなく、写真をスライド式に表示しているだけの動画に対して、そのことに腹を立てて文句を書き込んでくる方がいました。
きっと、その動画を見れば、問題が解決すると思ったのでしょう。
動画を見ても問題が解決しないのなら、文句ではなく、「ここはどういう風にやっているのですか?」と、コメントを書き込めば良いだけなのに、腹を立て、文句を書き込むことで、質問しにくい環境を自ら作ってしまう。。。
結果的に、問題解決するための別の動画を探すために、貴重な時間をたくさん使うことになります。
まとめ
自分でできないから、問題が生まれる。
その問題を解決している人がYouTubeで動画をアップしている。
その動画を見て、自分にはわかりにくい内容だからと文句を言っていたのでは問題など解決するはずがありません。
そもそも、自分でできないから、出来る人の動画を見てもイメージが湧かないのです。
それを棚に上げておいて、せっかく動画にするのなら、分かるような動画を作れ!というのは、人間としてどうかと思います。
そんな感情にもてあそばれずに、”問題を解決するために不足している情報をください”とコメントするのが一番だと思います。
動画やブログの著者は、自分が続けやすいスタイルで記事を書き動画を撮っています。
そのスタイルに合うのであれば見ればいいし、合わなければ閉じるだけのことです。
著者もすべての人に良い顔をしたいとは思っていません。何よりも、自分が窮屈になることを避けています。自分が他人に縛られず、好きなように表現をするから続けられるのです。良い情報かどうかは閲覧する人が決めれば良いと思います。