伝えようとしない覚悟・汲み取らない覚悟
どこか、見覚えのあるようなタイトルになってしまいました。
伝える文章、伝わる文章、伝える技術、伝わる書き方… と、世間では、自分の気持ちや意見を相手に伝えるための本がたくさん出版されています。
こういった本を読む人は、自分の心の奥に『私の伝え方が悪い』という気持ちが必ずあるはずです。
けれども、そのように考えることは、もうやめてもいいんじゃないかと思います。
たとえば、ある専門的な知識が必要な会議で、専門的な言葉を分かりやすい「例え」と「用語(言葉)」で表現しても、相手に伝わらないことがあります。
伝えようとする内容を、これ以上分解しきれないというレベルまで優しくし、イラストやたとえ話を用いて説明しても、それが相手に伝わらない場合…
”伝えようとしなくても良い = 自分の伝え方の問題ではない” として、そういう相手をスルーしましょう。
例えばこんなシーン
WEB(ウェブ)の戦略会議などで多用される横文字…
昔は、ダブルクリックという言葉でさえ通じない(笑)という時代がありましたが、今では、より専門的に、そして頭文字だけをつなげた用語がたくさんあります。
そういう人たちにもわかりやすいように、あえて日本語を用いたり、図や式で数字の意味などを説明しながら会議を進めていくシーンがあると思います。
会議に出席する全員が… というより、一部の人が理解できるように進行されていくわけです。
優しい資料や説明からの脱却
以前の私は、出席者全員が理解できるように言葉選びを慎重に説明をしてきました。
けれども、それをやめることでストレスがだいぶ軽減されました。
ありがちですが…
『お前のために言葉をかみ砕いてやってんだよ!』
という人に限って、自分では勉強しようとはしません。
いつもわかりやすく説明してくれる誰かが甘やかしているのが原因です。
しかし、これでは会議の時間が延びるばかりです。
参考書を読むなどして… というか、ネットで気になる単語を検索して調べるというような事すらしない人にレベルを合わせる必要はないのです。
そういう人の発言は、自分流の言葉で割り込んでくるので、聴く側が思考を巡らせ、言わんとすることを理解しようとします。つまり、相手の言いたいことを汲み取ろうと努力します。
”ちょっと調べてみる”という行為すらしない相手に、どうして、こちらがわかりやすく説明したり、相手の言葉の意味を汲み取ろうとしなければいけないのか?
それって変ですよね!
あなたも変わろう!
こうして考えると、努力をしているのはこちらです。
何も努力しない人に合わせる必要はないのです。
私は、こんな単純なことに気がついたとき、どこか吹っ切れました。
そして、行動に移しました。
私のそういう行動が、社内で反感を買うかもしれないけれど、それでも良いと思いました。
そんな反感よりも、努力しない人に合わせている自分のストレスの方が大きかったからです。
面白いのですが…
私のような”因子”が、社内に一つでもでてくると、必ず誰かにその行動は伝染します。
そのうち伝染が広がり、”何が本当は正しいのか?”がハッキリしてきます。
そうなれば、私への反感は、嘘みたいにあっという間に消えてなくなってしまいます。
いかがですか?
まずは、自分の力量の無さばかりを責める前に、相手はどうか?
…ということにも目を向けてみませんか。