日常で気にする必要もないようなこと
世の中の自然の中に溶け込む、昔から存在した物の名前について考える時があります。
例えば「石」。分かりやすいように漢字で書いたけれど「ishi」という発音の物体を見て私は思うのです。
一番最初にあの物体を見て「ishi」と命名したのは誰なのか?
『今日から、こういうものを「ishi」と呼ぶぞ!』と言い出したのは誰なのか?
そういうことを気にしだすと「草(kusa)」「火(hi)」「木(ki)」「山(yama)」…いろいろ思い浮かんできてしまう。
誰がいつ、そういう風に呼ぼうと決めたのか? 呼び始めたのか?
もしかすると「石」は「ihi」という発音で、人間が類人猿から今の人間に近づくにつれて、あごや歯の形成が変化し「ihi」が「ishi」になったのかもしれません。
でも、もし、「石」を「kusa」と命名したならば、私たちはあの物体を疑いもなく「kusa」と呼んでいるわけです…何の疑いもなく…。
そう考えるととても不思議です。
私だけですか?
世界が大陸でつながっていたから?
そんなどうでも良い事を考えていると面白い情報も集まってきます。
英語で「kennel(ケンネル)」という言葉があります。
これは「犬小屋」という意味ですが、日本語で書けるんです。
犬が寝る小屋 = 犬(ケン)寝る
これって、すごく不思議だとおもいませんか?
こういう感覚は大陸がつながっていたころの「石」を「ishi」と呼ぼうと共通語を開発した当時の古代DNAがなせる業なのではないでしょうか。
言語が違っても共通で理解できるような言葉を無意識に開発してしまう人間が持つ古代のDNAは、とても平和で協調性のある人々の暮らしを想像させてくれます。
・・・オノマトペ。