働き方の改革って
世間の目は厳しい
最近、僕は、僕の働き方が「新しい」ということで納得してきているところがあります。
ほんの少し前までは、いや、今でも60歳以上の方々あたりには転職の繰り返しやフリーター
といった方々の仕事に向かう姿勢を良くないと考える人も多いです。
- 腰の落ち着かないやつ
- 仕事をしていれば嫌なこともある
- 根性無し
- 飽きっぽい性格
と、まぁ、僕もいろんなことを言われてきました。
それは、僕の経験した仕事をご覧いただければ、ある意味納得する方もいると思います。
世間の目は正しいのか?
でも、どうなんだろう?
楽しくないことをしていて、人生それでいいのかな?
それは、「飽きる」とか「根性無し」とかの話とは別次元で仕事と人生を考えているのであ
って、そんな一言で片づけるような・・・仕事とはこうあるべきという世間が作り出したル
ールを真に受けて生きるのが嫌になった、つまりは人間らしいことが、僕の生き方ではない
かと思うわけです。
「人生」を深く心で感じるからこそ、その心の赴くまま生きている。
それを世間は先ほどのようなレッテルを僕に貼ります。
本当は、そうやって生きてみたい・・・
そうできないから、羨ましい。
羨ましいけど、そう言えないから、僕を仲間にしようとして同じ世界に引き込もうとする。
よく言われるのは、
「えっ!?今度はホームページですか?」とか、
「え?!今度は問屋ですか?」って、
いちいち僕の一貫性のない仕事に驚きの言葉を表現します。
一貫性を一つの仕事で完結するから、そういう人が僕を見ると「腰の落ち着かないやつ」に
なってしまうのですが、「楽しいことをする」ということを基準にすれば、一貫性しかあり
ません。
「好き・楽しい」と「得意」
僕は、僕が楽しそうと思う仕事しかやらないです。
当然、その仕事の中には辛いことはあります。
例えるなら、どんなに好きな女性とお付き合いしても、時には意見が合わず喧嘩などして嫌
になるときがあるということに似ています。
でも、好きだから続けられるんです。
そんな「好き」とか「楽しい」がなくなったり、無い仕事はしません。
ただ、それだけなのです。
- 渋谷で女子中高生を相手にするおじさんと仕事
- ベストジーニストのWEBのお手伝い
- テレビ局への小物の提供
- 駅ビルのポスター取り換え
- ビルの解体
- スキーの救護パトロール
- 柏餅の葉っぱ巻き
- ゼリーの瓶詰め
- AKB48(初期メンバー)の募集手伝い
など、人が聞けばワクワクしそうなお仕事をしました。
いろいろな方々と出会い、今でもご縁のある方もいます。
話しは少しそれてしまいましたが、こういう基準で仕事をするということが「新しい」から
こそ、誰も理解できず、いろいろ僕に叱咤激励の言葉をくれたのだと思います。
ようやく、働き方というものが「自由」になってきたと思います。
僕は「楽しさ」を基準に仕事をします。
だからと言って、させてもらう仕事によっては未経験のものもあります。当然、一番下っ端
です。でも、単なる新人ではないのです。そこには誰もまねのできない、僕だけが持ってい
る経験がありますから。そして、今までの「経験」と「人脈」を惜しみなくシェアして、よ
り良い仕事ができれば、もっと楽しい!
そんな働き方は、お金を得るためだけの仕事とは違う価値観があります。
人生で多くの時間を費やしてしまう「仕事」。
果たして、あなたの時間の使い方はそれでよいのでしょうか?
もしかして・・・
一つの事をやり続けている人って「得意」だから続けているだけで「好き」「楽しい」ので
はないかもしれない。
自分の心に訊く時間、持っていますか?
・・・・オノマトペ。