掃除は”折り合い”をつけることというのは、良い教訓になっています。

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掃除は自分との折り合い

掃除。

普段あまり掃除はしないし、できればしたくない性格。

でも、一度きれいにすると気持ちの良いことはわかるので、それを持続させようと思うけれど散らかってしまいます。

最近気が付いたのは、私の性格上、ほどほどにということが出来ない・・・ということ。

掃除をし始めれば、せっかく掃除するのだから、隅から隅までキレイにしないと気がすまなくなってします。

ドアノブを磨くと、自分の指紋すら付いていないように磨き始めたり、蝶番のところまで磨き始めたり・・・もう、掃除に終わりはありません。

疲れ果て、止めるのですが、それが挫折感に変わります。

全ての場所を完ぺきにできなかった・・・と。

そういう掃除の仕方なので、掃除が嫌いなのだと思います。

そして、最後まで掃除できないことが最初から分かっているので、挫折感を味わいたくない私は、ますます掃除が嫌いになります。

ある時、知り合いが、私に言いました。

「掃除は自分との折り合い、キレイだと思えば止めれるが、そう思えないとずっと止めれない。折り合いをつけないとだめですよね!」と。

まさに、その通りだと思います。

私の考え癖も、こうしたことに由来するのだと思います。

折り合いが付けられないから、いつまでも答えを探す。

どこの答えまで出たらやめるとか、そもそも本当の答えなんか見つからないと思うものは、考えないとか・・・

自分の”考える”ことに対して”折り合い”をつけなければだめだと思いました。

そうでないと、掃除の様にいつまでも際限なく完璧に掃除をしようとして疲れ果て、結果、ほんの一部分しかきれいになっておらず、他の部分は手付かず・・・挫折感も伴い、疲れただけの状態ということになってしまいます。

  • 折り合いをつけて、テキパキとすべての場所を一通りきれいにする。
  • 折り合いをつけて、ひとつの考えだけにとらわれすぎない。

これが大事だと気が付きました。

あとは、考えるときは客観的に感情を乗せず見る。

感情を持ち出せば相手の感情も考慮することになり、その感情のバリエーション分だけ、起こりうるパターンを想像しなければならなくなる。

だから、感情が想像に入り込んでくるときは、考えてももう答えは出ないと”折り合い”をつけて、そのことは考えない。

掃除の完璧主義が、こんな考え癖にも影響しているなんてびっくりです。

今はこんな風に思っていますが、今後どうなるのかはわかりません。

ただ、今の考え癖は、この掃除の折り合いと客観性によって、考える時間を少しだけ短くさせてくれるような気がします。

これは、今の自分への「健忘禄」です。