1,000冊読むための本の「断捨離」ルールを設定してみました。本に愛着、割切る方法。

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本の断捨離が出来ない理由

読んだ本に愛着が出てきてしまう

本を読んだら、捨てられない。

読むことに使った自分の時間がその本の中にあるから、愛着が出てきてしまう。

ドッグイヤーやマーカーがあれば、なおさらのこと。

あとで読み返す気持ちがあるからそうしたのだ。

だから、いつでも読み返したいと思っている。

けれど、なかなか読み返さないものだ。

この読み返したいと思っていても読み返さないところに「断捨離」が出来ない原因がある。

せっかく買ったのにもったいない

先ほどの「愛着」は、使った「時間」に主な原因がある。

”せっかく買ったのに、もったいない”と思うのは、お金に原因がある。

高い本、安い本に限らず、お金を使って買ったものだ。

だから、本を捨てることをもったいないと思ってしまうのだ。

そこに「断捨離」が出来ない原因がある。

本の断捨離に気持ちのルールを設定する

ルール1:本を人と思えばどうだろう?

断捨離が出来ない理由にも書いた通り、そのせいで断捨離ができない時はどうすればよいか?

多くの人は、心を鬼にして断捨離するのではないだろうか。

なんとも踏ん切りが悪く、罪悪感たっぷりで捨てる。

これは精神的にもよくない。

そこで「」を「」だと思ってみてはどうだろうか?

人に会い、その人の考えをいろいろお聴きして、自分の意見と交換した。

そして・・・別れ、帰路につき、今日、会った人のことを思い出し、眠る。

この時は、この人とずっとお付き合いがあるものだと思っている。

また、近日中に会いたいと思っている。

しかし、数日もすると、良い人に良い話を聴くことができたという記憶が残っているだけ。

その後、何年も会わない人になってしまうというのはよくあることだ。

または、その後、一生会わないという人もたくさんいる。

本は人が書いたもので、本を読むということは、その人(著者)と会ったということです。

本を読みながら、その人の体験や意見を聴き、僕の意見や気持ちと交流する。

そして、読み終え、別れる。

この時点では、また近日中に読みたい(会いたい)と思っている。

しかし、そのまま読み返すことをしないまま(会わずに)何年も過ごしてしまう。

これは、実際に人に会った場合と同じではないだろうか?

そのまま疎遠になるのは、人に限らず、本もまたそうなのだと割切る

ためになることが書いてあり、ドッグイヤーやマーカーがある本・・・

仮にそんな本であったとしても、そう考えれば、処分できるし、罪悪感が無くなるはずだ。

人に会い、良い事を聴いて、勉強になっても、会わなくなってしまう人もいるのと同じだ。

しかし、その人とは疎遠になっただけで、縁を切ったわけではない。

それと同じで、疎遠になっただけで、本の内容は自分の中にあるということだ。

その時の自分の考えや時間を捨てるようで抵抗があるのかもしれないが、記憶には残るのだ。

人の場合、その時話したことや自分が感じたことは薄れない。

同様に、自分がその本に感じたこと、気に入った内容も、あまり薄れないように思う。

薄れないからこそ、近くに保管しておいても、読み返さないのかもしれない。

また、いつでも読み返せるという安心感は、いつでも会えるという安心感と似ている。

しかし、会える距離にいながら、何年も会わなかったりする。

本も、近くにはあるけれど、読まないということは、当たり前の流れなのかもしれない。

そして、先ほども書いた通り、自分の記憶に残り薄れないからこそ、読み返さないのである。

だから、読み終えた本は、気に入っていても、処分して大丈夫なのだ。

本の断捨離に罪悪感は必要ないのだ。

本当にどうしても必要な本だけ残せばよいのだ。

ルール2:物理的な理由と未来の出会い

物理的な側面から見ると、本を置くスペースが限られているということだ。

断捨離をして整理をしなければ、新しい本との出会いが生まれない。

新しい本との出会いがないということは、新しい人に出会えないということだ

だから、本の処分はどうしても必要なのである。

本に愛着が出てき始めたので、本を捨てにくくなる前に断捨離ルールをこのように設定した。

この2つのルールを大切にして本棚という限られたスペースを充実させるつもりだ。

本を1,000冊読むためのルールも設定↓しています。

本が大嫌いだが1,000冊読んでみようと思うなぜ本が嫌いなのか?子供のころ、国語といえば漢字と朗読が主な宿題でした。間違いなく読めるようになるまで何十回も朗読をして、親に読んだ証拠としてサインをしてもらうような宿題や読書感想文が僕を国語嫌い

本は人という考えがシンクロした

「本」は「人」ということに気が付いたことは、とても僕を楽にさせてくれた。

この考え方は、別の形で驚くべきシンクロを見せた。

人に借りた本を読んでいると、まさに「本」は「人」だという認識の著者に出会ったのだ。

その本の内容は「断捨離」ではないが、この考え方のシンクロは不思議な縁を感じた。

なぜなら、この記事をまとめて、次に読んだ本(11冊目)にそう書かれていたのだから。

その11冊目の本は「ほんとうの味方のつくりかた」といいます。