「楽しいこと」だけしかしないと決めて、生活はどのように変わったか?
ひとつ確実に言えることは「お金」を中心に物事を考えなくなったということです。
どちらかといえば楽しい方を選択するという生活をすれば、おのずと楽しいことだらけの生活を送れることになります。
それでも、人に物事を頼むときやお断りの返事をしなければいけない時、卑屈になったり、申し訳ないと思ってしまったりします。
これは仕方がない。。。と、思いがちだけど、しかし、どうやれば楽しくなるのか?
楽しく言えばいい。
シビアなお給料アップの交渉だって、自分の成果を淡々と話してまじめな顔をして交渉するより、明るく笑顔で「会社の都合もあると思いますが、頑張ったのでお給料アップを検討してください!」と言えばいいのです。
僕の中には、はなから期待していない。
シビアに交渉しようが、笑顔で交渉しようが、給料なんて上がらないものと最初から決めつけている。まぁ、言うだけ言ってみようという感じだから、相手も断りにくいような立場にさせたくないのです。
・・・・あっ、だから、僕、生活がやっとですよ(笑)。笑い事じゃないか。
でもね、お金を中心に物事を考えちゃうと、もし、お給料のアップを認められたら、明日からもっと頑張らなくちゃいけない気分になりませんか?残業も多めにしなきゃとか・・・お金と引き換えにドンドン息苦しくなっちゃいます。
僕は、それが嫌です。
まぁ、これは強がりだけれど、それしか払わない(払えない)と言うなら、それ以上を求めず、そこ以外のところで稼げばいいというのが僕の考えです。そこには、どちらも気分的に嫌にならない関係を重視したいという考えがあります。
いつでも最高のパフォーマンスを提供しているつもりだけど、その環境によっては、満足しないクライアントもいると思います。しかし、これは感情的な問題であり、最初から決められたゴールには到達しているものの、そのゴールが最初に描いていた満足度と違ってしまっているだけなのです。
つまり、その満足度を得るためのゴールを正しく描けていなかったということです。そういう仕事の場合、どんなにこちらがそのゴールを完璧に再現しても、クライアントは満足しません。
なので、そういう時は、自分の反省として、お客様の感情的ゴールと物質的ゴールを最初にしっかりマッチさせるという項目を付け加えます。
それで、おしまい。
あとは、考えても仕方がない。
・・・話がそれちゃいました。
楽しく、楽しくというけれど、そうもいかない時は、どうするのかというところをつきつめていくと、自分が楽しそうにするということが基本なんだと思います。
選択肢がある場合は、どちらかというと楽しい方を選び、選択肢がない場合は、楽しそうに行うことが、生きるすべての時間を楽しいことで埋められるのではないかと思います。