私の若かりし頃の反省点
とにかく、私の30代、40代というのは、自分で何でもやればできる!やってやれない事などない!という精神状態でした。資金面で調達できない事もありましたし、ケチな性分も拍車をかけていたように思います。
そのため、かなり大掛かりな準備や勉強が必要でも、時間をかけて用意したり、勉強をして目標や目的のために努力をしていました。
それ自体は悪いことではありません。
自分の持てる武器が増えるというのは、素晴らしい事です。
けれども、そうやって何でも自分で出来てしまうことが分かってくると、どんなことでもやれば自分で出来る!という気持ちがますます強くなっていきました。
何でもできるは何もできない
自分でできることも増え、ビジネスの可能性も広がっていきました。
可能性の拡大から、夢はどんどん大きくなっていいきましたが、夢の達成のためには自己資金や時間も多く必要となってきました。
少しずつ、少しずつ、自分のスキルがボトムアップされてくる反面、作られた大きな夢の達成は遠くなり、50代となった今では、その夢にかける時間も少なくなってきて、未だ一つの夢も達成できていない状態だということに気付かされました。
何でもできるのに何もできないとは、このことなのかもしれません。
過去の経験を踏まえた50代を過ごすと決める
大きな夢は、そこに向かって進んではいても、どれくらい進んだのかが確認しにくいです。
小さな入れ物に水を注ぐとあっという間にかさが上がっていきますが、大きい入れ物だとなかなかかさが上がってこないので、水が増えているのかどうかを確認しにくいです。
水の増え方が努力の量だとすれば、器の大きさは夢の大きさです。
夢が大きくなればなるほど、大いに努力はするのですが、その努力の貯まり具合が確認しにくくなります。努力をしてもしても器に対してかさが上がってこないので、無駄な努力をしているような虚しさを連れてきます。
そして、やっても無駄なのかもしれないと諦めたり、挫折をしてしまいます。
若い時は、そんな状態であったのではないかと、今更のように気が付きました。
挫折したり、諦めずに続けるにはどうすればよかったのでしょうか?
夢は大きい方が良いけれど、何でもできる!と過信してしまわず、もっと、条件を付けていければ良かったのではないかと思います。
条件とは、自分に対しての線引きのようなものです。
自分を追い込むように体や心を酷使しないという線を引き、その中で夢の達成を考えていくことが大切ではないでしょうか。
毎日、深夜まで夢のために働くというのは無理があるので、それを止める。そのかわり、夜9時までの2時間だけなら、必ず、夢のために時間を割く・・・といった具合に、自分が無理なく動ける範囲を絞っていき、その中で最大の夢を描いていれば、この歳になって、ひとつくらいの成功は、あったのかもしれません。
過去を悔やんでも仕方がないので、ここに気が付いた私は、今からこれを実践していきたいと思います。自分の心と身体に負荷がかからない程度でありながら、超集中して動く時間を決めて、その時間だけは夢に向かって活動することを始めたいと思います。
具体的には・・・
夢を書き出し、その夢に向かって進むうえで必要なことを段階を追って書き出し(段取り)、その項目を消し込めるよう毎日1時間だけ超集中したいと思います。
2020年は、毎日1時間ずつ、超集中したいと思います。
その積み上げが、夢を達成させるのかどうかはわかりませんが、きっと何かが残ると思います。30代、40代では何も残りませんでしたが、これを実践すれば、少なくとも50代は何か残せると思います。