なぜ、作り始めたのか?
『どうして、ジオラマ・情景を作りはじめたのか?』と、奥さんに質問されました。
- 一生出来る趣味探し
- 趣味をお金にしたい
- やりがいを見つける
そんなことを、ずっとずっと考えていました。
鬱になる
考え過ぎて、焦りや不安が出ているところに、健康診断では「がんの疑い」が・・・。
このことがキッカケで、精神的なバランスが大きく崩れました。
検査結果は「膵のう胞」ということで「がん」ではありませんでした。
けれども、本当にがんではないのか?安心してよいのか?と、医者に詰め寄ると、少し面倒くさそうに・・・その医者は、私に言いました。
「心配し過ぎで、どちらかというと、そういうところが心配です。精神科を紹介しましょうか?」と、言われてしまいました。
昔から考え過ぎてしまう性格で、特にこの時期はそうした傾向も強くなっていたのだと思います。また、自分でもそのように感じていたところでした。
そこに、先生から烙印を押されたという感じでしたので、本当にショックでした。
先生の一言は、『あなたは、うつ(かもしれません)』と、言われているようでした。
大きく崩れていた心のバランスは、がんの疑いが晴れたにもかかわらず、心がポキッと折れてしまいました。
前兆はあったと思います。パニック症状にも似た突然の不安による焦りなどがあったりもしましたが、このことがキッカケで完全に鬱に突入しました。
鬱だった時間
鬱の期間は、世間の人様よりは短かったと思います。
けれども、収入が途絶え、そうした不安も重なる中、その重圧はものすごいものでした。
鬱抜け間近の頃、近所のグラウンドで草野球をしている少年を見て、私はふと思います。
『この子達、病気になったら嫌だな、死ぬの嫌だな、どうしよう。』
なんて考えもせず、野球をしているんだよな・・・。
と。
私は、何をするときにも、そういうことを考えている・・・。
私は、自分の小学生の頃を思い出し、夜遅くまで野球や鬼ごっこをして遊んだ懐かしい光景を思い出していました。そんな光景を思い出しながら、このままではいけない!と少しだけ、心の奥に「元気」が沸いてきたような気がしました。
元気が沸くキッカケを作りたい
この経験から、懐かしい情景をいつでも思い出せるように、机の上に飾れる何かを作ろうと思いました。これが、ジオラマというか”情景”を作りたくなったキッカケです。
それを見れば、懐かしくなり、少年時代の何も考えずに、ただ、ただ遊んでいた時の気持ちを思い出し、このままではいけない*!と、心の奥に、やる気と元気とが沸いてくるのではないかと思いました。
*頭でっかちの考えばかりが優先してしまい、不安やリスクが沸き、結局、動かない事。その堂々巡り。
何を作ればいいのか?
漠然とですが、昔の田舎の風景だということは決まっていました。
それを見て、子供時代を思い出すモノや風景を作ろうということまでは決まりました。
いろいろ自分の気持ちと情景をぶつけ合い重ね合わせると、バス停の待合小屋が自分の気持ちに一番フィットしました。
今まで、そういうもの・・・を作った事が無い私の挑戦がここから始まります。たぶん、子供の時、1台の車のプラモデルを作った事くらいしかありません。
私の作りたいモノを作れるようにしてくれる人を見つけた
ネットでいろいろ検索しました。
私が勝手に師匠と呼んでいる人の作品に出合い、SNSをやっているかどうかを調べるとフェイスブックをやっていました。
私の精神安定のためなら・・・というか、これが救いの道(鬱抜け)になるかもしれないと考えていた私は、相手の気持ちなどお構いなしに、友達になり、ずけずけと質問を繰り返していました。
とにかく、私自身の心の奥に元気の灯を灯すものを作りたい。それを見るたびに励まされ、そのうちに鬱から抜けれる!そのためには、作らなければ!と、そんな気持ちでした。
師匠は、嫌な態度ひとつもせず、道具から方法からいろいろお教えくださいました。また、自宅にもお招きいただき、直々のレクチャーもしてくださいました。
習ったら、慣れろ!
自宅に戻り、反復練習をしたり、オリジナルの小物制作に挑戦しました。
楽しいし、夢中になってきました。
お金の心配はありましたがが、材料費の安さにその不安はすぐに吹っ飛びました。
これは、良い趣味見つけた!とまで思いました。
そうやって、少しずつ、私のやる気と元気を湧き立たせる情景を、自分の気持ちと照らし合わせて作っていきました。
こんな加工をしたら、私は幼少期を思い出すのか?と、常に自分の気持ちに寄り添いました。
気持ちと寄り添うイメージが沸かず、10ヶ月位放置していたこともあります。
懐かしさから、私のやる気と元気を湧き立たせるか?がいつもテーマでしたので、そういう気持ちにならない構想は却下しました。
手を付けられるものがなく、悶々とする時は、気持ちに沿って作れるものから作っていきました。
こうして私は、以下↓のブログのようになっていくわけです。