木
どちらかというと、私は「木」のような人間です。
「犬」のように相手のところに寄って行ったり、エサをもらえるように甘えたりもしない。
いや、「木」も本当は天の恵みだけではなく、水が欲しかったりするときは、甘えて枝を伸ばしているのかもしれない。
けれども、「犬」のようにあからさまにわかるものではない。
つまり、私は、そうした表現が下手なのです。
そうなってくると、天から与えられるものだけを有難くいただくことになります。
ブナ
「木」といっても私は「桜」ではありません。
一年に一度、必ず大勢が集まってきては、ワイワイとやれるような人間ではありません。
「木」の中でも「ブナ」が私には似合っていると思います。
人が寂しくなったり、悩んだり、どこか安心を求めるようなときに近づいて来られる「木」。
「あなたも一人で大変ね」とか「あなたのように強く生きるわ」という具合に独り言を言われます。そして、勝手に元気になって、去っていく。
ただ、聴いているだけ。「ブナ」は何もしていない。
それでも、この存在そのものが「元気」を与えていたり「不安」を取り除いるのなら嬉しい。
営業
そんなだから、私は営業が苦手。
勝手に集まってきて、一通り聴いて、会話をし続ける事は好きだけれど、「犬」のように、「ねぇ、聞いてよ!聞いて!」と、みんなのところに駆け寄るようなことは出来ない。
出来るか出来ないかというより、そういうのが好きではない。
桜
何もしないのに、相手が勝手に自分のいいように解釈をしていく。
たまに、感謝されたり、身体をいたわられたりする。
それが「ブナ」だとすれば、「桜」は、うわべだけの友達ばかりが多いようで、私は桜のようにはなりたくないと思ってしまいます。
桜は、そんなことも全て知っていて、ああやって演じられるのだから、スゴイとしか言えないけれど。
散り際なんて、あっさり、サッパリしていて、カッコイイ。
生き方
だから私は「木」のようなスタンスが楽だ。
聴いてくれれば、出来るだけ答えます。
普段は、「桜」や「犬」と遊んでいても、本当に自分の気持ちに向き合いたくなったら、来てくれるだけでいいです。
そんな時は、私の本領が発揮されます。
傍に来て、多くの”独り言”を聞かされる生活が長いので、「桜」より多くの人の立場や気持ちが分かるつもりです。
”聴かれないと答えない”という不器用な生き方だけど、必要とされた時に、確実に答えられる生き方が好きです。その為の努力は好きです。