奇跡の1枚!?こういうのってドラマや漫画でしか見ることができないと思っていました。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

最後の一枚

公園を散歩中に、桜の木に一枚だけ残った葉っぱを見つけました。
何とも絵になる気がして、写真を撮りました。
たった1枚だけ!ということが特別に思えて、嬉しくなりました。

それは特別なことなのか?

この桜の木を後にして、ふと思いました。
1枚だけ残った葉っぱの桜の木は、絵力としては強い木はしますが、果たして特別なのだろうか…と。

いろいろな条件… 日照時間や風の強さといった複数の条件が重なり、たまたま、1枚になったわけです。私の場合も、今日という日のこの時間に散歩をしなければ、出会えなかった光景です。

ここまで考えると「奇跡」と思いたくなります。
けれども、いろいろな条件が重なり、残っている葉が5枚や8枚であったとしても、その枚数になるというのも、1枚だけ残っている状況と確率的には変わらないのではないかと思うのです。つまり、5枚でも「奇跡」、8枚でも「奇跡」だと思うのです。

日常は奇跡であふれている

このことに気づかされて、自分の日常を見回してみると…
「今」このようになっているのも「奇跡」なのではないかと思えるようになりました。

いろいろな条件… 人や物との関係、時間の経過といったものがものすごく複雑に絡み、私の前にはコーヒーカップがあり、奥さんがいて、仕事をしていたりします。
いままでのいろいろな条件が、少しでも変わっていたら、こうなっていなかったかもしれません。

そう考えると、この「今」も奇跡的に生み出された状況なのだと思います。

すべてが「奇跡」であふれているとは、こういうことなのだと思います。

「ピー、ピー」と洗濯が終わりましたよ!と音が知らせてくれています。
すぐに洗濯を干すのか、このブログを書きあげてから干すのかでも、この先の状況は変わるのだと思います。

選択による変化を考え過ぎたり、不安になったりするのではなく、そうなることがすべて奇跡と思えば、有難く感じられます。

残った葉っぱが1枚がすごいのではなく、何枚残っていても、1枚も残っていなくても、そういう状況になることは「奇跡」なのです。