まったくもって恥ずかしい。
私の考えというのは、こんなにも簡単に数字に踊らされてしまうのか?
きっと今後も「欲」が出て、数字に踊らされるときがあると思いますが、その時はその時、今、気づいたことを今日のブログにまとめておきたいと思います。
私は、作った作品をオークションサイトで販売しています。
生活のため…?
これもありますが、好きで作ったものが売れ、それが生活の足しにもなるなら、これほど良いことはないと考えています。
だから、生活のために作らなければ!という必死感はありません。
どちらかというと、より良い作品を手間暇かけて作りたい。
その上で作品を金額的に高く評価されればもっと良いと思っています。
※作品が高く評価されても落札金額が比例するとは限らない。
作品と金額と気持ちの遷移
最初の作品
最初の作品は、今から思えばお粗末なものでした。
それでも落札金額は5,000円を超え、材料費は十分に回収でき満足していました。
私の場合、作っている時間や凝らした工夫の代金の回収というのは考えていません。
それは、相手が評価することで、評価が高ければ落札金額も比例するのではないかと期待しているからです。
当時は、5,000円でもありがたい!と考えていました。
2回目以降の作品
次の作品からは、かなり気合も入ってきて、作り込みも細かく自分でも、その時点での最高作品と言えるほど楽しんで充実した作品が完成しました。
オークションのスタート金額も強気の7,500円スタートで、最終的には8,000円を超えて落札されていきました。
このころ注目していたのは、アクセス数とウォッチ登録数でした。
良い作品を作れば、これらの数字は伸びると信じていました。
結果的に良い作品は高額で落札されると信じていました。
8,000円くらいで落札されることが続いたので、私の腕前はそれくらいだと思うようになりました。そして、もっと評価されるように作品を細かなところまで注意を払って作り込もうと考えるようになりました。
そこで完成した作品は、過去最高のできでした。
市場は私をどう評価するのかを試すために、スタート価格を12,000円としました。
結果は、お一人の入札で競り合うことなく、その1件の入札で12,000円で落札されました。
12,000円の価値を認めてくれる人がいるという嬉しさと、競い合わないで終了してしまった寂しさと複雑な気持ちでしたが、もっと良い作品を作ろうという気持ちも湧いてきました。
そして今回、さらに良い作品ができましたので、スタート価格を12,000円でオークションに出品しました。
手前味噌ですが、かなり良い作品で期待をしていました。
その期待通り、アクセス数とウォッチ登録数が、出勤してからすぐにうなぎのぼりでした。
オークションの最終日がそれはそれは楽しみでした。
そして、昨日、1件の入札が締め切り6時間前にあり、これからどんどん入札が重なって、12,000円を大きく超えて落札されるのではないかと期待していました。
けれども、終了してみれば12,000円のまま、最初の入札者が落札をされました。
これは、ありがたいことでもあるのですが、作品の出来栄えが良かっただけにとてもがっかりしてしまいました。
ガッカリしたのは、金額が伸びなかったことです。
きっと、作品の評価はそれなりにあったと思います。けれど、競ってまで欲しいと思うような作品ではなかったのだと思います。
冷静に受け止めればそうなのですが、オークション終了時の気分は、12,000円?
もっと伸びていいのに?!
アクセス数も過去最高でウォッチ数も多いのに…なぜ?
アクセス数とウォッチ数は、金額に比例すると信じていながらも、やっぱり違うものなのだと落胆してしまいました。それだけ、アクセス数とウォッチ数の多さに期待をしていたのです。
12,000円はおっきいよ!の言葉。
そんな風にぼやいていると…
「12,000円はおっきいよ!」の声(奥さん)
確かに、12,000円でスタートした時は『アクセス数やウォッチ数がいきなり上がっているから、落札はされるだろうと思うけれど… 出来ればもっと言ってほしいな。』
そんな風に話していた1週間前の自分を思い出します。
そのときはまだ「謙虚」が少しありました。
落札されるだけで充分!値が上がれば最高だけど、落札が大事!
そんなふうな気持ちがあったと思います。
けれどもオークション終了日の1週間後には、
『なんでもっと金額が上がらないんだ!』
と、私は、金銭への欲と作品がもっと評価されるべきだ!という傲慢な気持ちになってしまっていました。この感情の中には、作品をオークションで売り始めたときの気持ちなどどこにもありません。
こんな私の作品でも買ってもらえてうれしい!
ましてや、材料費がタダになって、儲けまで出るなんて、ありがたい!
そんな気持ちは微塵もなかったのです。
12,000円の大きさ
確かに12,000円は大きいのですが、この時の私には、まだピン!ときていませんでした。
作品作り対する気持ちは、儲け第一主義ではないにしても、少しは家賃や食費といった大きな払いものの足しにしたいと考えているのは事実です。
そうした大きな払いものの前には、12,000円は小さすぎて、この金額の大きさを理解できなかったのだと思います。
奥さんに言われたその時は
「確かにね…。」
と、奥さんの言葉に対して、同意をしたふりをしていました。
確かに、同様の他作品と比べれば、高い落札金額だと思います。
けれども、それだけの「差」はあって当然の作り込みをしているという、私なりの作品への自負がありました。
- どうして、金額が伸びないのか?
- 作品作りにあたっての詳細な説明を増やそうか?
- 写真の説明を増やそうか?
相手に伝わらなければ意味が無いので、そういう努力も必要だと思いながら、金額が上がる手法ばかりを考えて床に就きました。
けれども、今日、ピン!ときました。
自分のお小遣いとの比較
家賃や食費という大きな払いものではなく、自分の趣味やお昼に割くことのできるお小遣いをベースに考えると、12,000円はとても大きいということに気が付きました。
何か買う時、10,000円を超えると躊躇します。
そして、ほかに安いものは無いか? 代用できるものは無いか? と真剣に探します。
私の作品は、机に乗り、電気がつくだけ… です。
そんな作品が12,000円!? 高いでしょ?! 絶対。客観的にみると、私はそう思います。
何の生産性もない私の作品は、しいて言えば「懐かしさ」を連れてくるだけです。
それが12,000円! 私なら買わない。
こんな当たり前のことに気がつきませんでした。
それと同時に、落札してくださった方々への感謝を思い出しました。
生産性のない私の作品に大金を出して購入してくださり、感謝申し上げます!‥と、そんな気持ちになりました。
「謙虚」とは
ただ、控えめにおとなしくしても、それはうわべだけの謙虚です。
私がそうでした。
今回のことで、私は、とても反省をさせられました。
理屈や道理、相手の立場を分かり、客観的に状況をとらえ、人の気持ちを理解する。
そこから本当に「謙虚」になろうとしなければいけないと思いました。
数字に振り回され、踊らされる
数字を追いかけ、気分が浮つき、結果が出ずに気分が落ち込む…
今回は、見事に数字というものに踊らされました。
高く落札される方が嬉しいし、実際、助かるというのも事実です。
けれども、その金額が自分の想定するものと違って安いままでも、なぜだ?という気持ちにはなってはいけません。
何の生産性もない置物を買ってくださるだけでもありがたいのですから。
作品とお金
より高額で落札されるために良い作品を作る。
この考えは、完全に間違いというわけではないけれど、どこか根本的な何かが違う気がします。最初から、ボタンを掛け間違えているような… そんな気がします。
切っても切り離せない生活のお金。完全にこれを無視をすることはできません。
だから、自分の作品に対する俯瞰的評価と、最低これくらいは欲しいという自分の希望をスタート金額に設定しようと思います。
このスタート金額の値付けは「欲」がたくさん渦巻くと思います。
ただし、そうやってオークションがスタートしたら、それより高かろうが、そのままだろうが、それを喜んだり悔しがったりしないことにしようと思います。
落札金額が高ければ、世間の作品に対する評価が自分の評価より高かったわけで、そのままの金額であれば妥当な値付けであったわけです。落札されなければ、自分の作品を自分で過大評価しているのかもしれません。
ただ、それだけのことです。
アクセスが多いから、ウォッチ登録数が多いから… と、落札金額までのプロセスを楽しむのは勝手ですが、それらは結果を約束するものではありません。
心が振り回されてはいけないと思います!
落札された金額が、世間の評価であり、自分の評価とのギャップです。
落札金額は、技術的なテクニックや宣伝文句ではなく「感動」に比例するのかもしれません。
落札金額や入札件数に不満があるのであれば、どうすれば多くの人の感動を自分の作品に引き付けることができるのか?を考え、それを作品に反映した方が良いと思います。
もちろん、そうしたものを再現するにはテクニックが当然必要ですので、おろそかにせず、常に磨きをかけることは当然です。
けれども、技術向上をお金のために考えるのではなく、「感動」を与えるために考えるということが重要ではないかと思うのです。
そして、結果は結果として世間の評価を謙虚に受け止め、それをバネにする。
どうしたらもっと感動するのか? そうやって自分の作品力アップのバネにすることが重要です。
あわせて、どんな金額で落札されようとも
”生産性が何もない私の作品は、ただの置物。そんな置物を購入してくださるだけでもありがたい。”
という気持ちを、私は絶対に忘れてはいけません。
作品が、購入してくれた方の「懐かしい」という気持ちを生み出すのなら、作品が生み出す唯一のものは「思い出」です。
そんな置物に大金を支払ってくださるというのは、本当にありがたいことなのです。
私は、ここを忘れていたから、今回のようなことになってしまいました。
今日は、本当に良いことに気づけた一日でした。