モノを分け与える
お菓子や大量にいただいた製品などは、自分がいただいたとはいえ「おすそ分け」するのが良いと思います。
もともと自分では持っていなかったものですし、いうなればタダで手に入っちゃったものですから、仲良しのお友達や会社の同僚などに配ってあげましょう。全部なくなってしまっても、もともと持っていなかったのだから、元に戻っただけです。
こういうところで”がめつく”全部懐に入れてしまうというのは、あまり褒められた態度ではありません。
分け与えてはいけないもの
これは、ズバリ「自分の手柄」です。
たまに見かけるのですが、自分のアイデアを人に発表させてしまう人…
こういう人は、手柄として褒められたりすることが苦手なのかもしれませんが、それと同時に自分という人間を自分で報われない状態にしてしまっています。
当然、自分のアイデアですから「責任」も発生するので、そうした面倒くさいことを敬遠したくなる気持ちはわかります。
けれども、そうやって自分のアイデアを他人が発表し手柄を立てることを見ているうちに、心は病んできます。
褒めてもらいたいから「自分のアイデア」だとアピールするのではありません。
今まで頑張ってきた自分の努力や経験の過程を褒めて、自分に報いるために「自分のアイデア」であることを宣言するのです。
もう少し簡単な例でご説明すると…
当日は大きなイベントがあったとします。
自分は大荷物で会場に向かわなければなりません。
早起きをして、荷物をいくつもいくつも車に詰め込み、会場まで大きな車を運転して、会場の駐車場に到着しました。
車から荷物を下ろし、何往復もして会場前のスタッフ入り口まで荷物を運び、あとは台車に載せて会場に荷物を持ち込むだけという状況です。
すると、親切な声がかかります。
同僚からの声です。
「持ちますよ!」
これは大変ありがたい言葉です。
つい、お願いしますと言ってしまいがちなシーンですが、お断りしましょう。
前日からの荷物の用意、朝起きてからここまで、すべて自分一人でやってきました。やることが100あるとすれば、この時点で95。ここまでは、全部自分でやってきたのです。
あとちょっとで100となる時にスタッフに荷物運びをお願いしてしまったら、どうなるでしょう。
会場に台車を引いて入っていったそのスタッフが労をねぎらわれてしまうのではないでしょうか。ただ、台車を引いただけです!
95まで文句も言わずに黙って一人でやってきた「自分」がかわいそうだと思いませんか?
だから、最後の最後まで自分でやりましょう。ここには他人の手は必要ないのです。
褒められなくてもいいのです。
自分でやった、最後までよくやった!
そんな風に100%をやり遂げた自分を自分で褒めてあげなければ…
95までやって5を他人に渡してしまえば、達成の満足度は半分以下になってしまいます。
自分を褒め、やり遂げた達成感を味わう!
そのためには、自分の手柄となる部分は人に渡してはいけません。
自分という健全な精神を保つためにも、重要なことかもしれません。