【自殺】昔、自ら死んでしまおうとする人の気持ちが少しだけわかる経験をしました。

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【自殺】自ら死んでしまおうとする人の気持ち

鬱経験 ~ 死を考えた

私は、自ら死んでしまおう(自殺)とする人の気持ちを他の人より分かるつもりです。

私が「鬱」状態のとき、一度だけ、そんな衝動にかられたときがあったからです。

魔の3秒。

当時の状況を思い出すと、たぶん、3秒…
僅かそれくらいの短い間に「死」への衝動が起こりました。

その「死」を望もうと考えた3秒間は、とても清々しい気分でした。
※ 奥さん、心配しないでね。今は、150歳まで生きると思っているから!

「魔がさす」とは、まさにこのことだと思います。

3秒間で感じた気分

「死」というものが、これからも続くであろう苦しみなどから解放してくれ、全てつじつまが合い、死ねばそうなると思える。。。いや、思えるというか、確信した!という感覚です。

全ての解決方法は、「死」一択であり、他に候補となる解決方法は全くありません。
そして、ようやくそれを見つけ出せたことに、私の気分はスッキリした状態でした。

うまく言えないのですが、長く思い悩んでいた問題に対して、答えが、パッと目の前に突然現れて、スッキリしたような感覚に似ていました。

湯船に浸かっていて助かった

もし、あの時、ビルの屋上にいたら…
もし、あの時、そばに凶器があったら…

思い出すだけでゾッとします。

その時、私は、お風呂の湯船に浸かっていました。

魔の衝動に駆られそうになりましたが、気持ちの良い湯船から出ることが、一瞬、億劫に思ったのかもしれません。
そのお陰で、今こうしていられるのだと思います。

生への執着

私は、死にたくないという「生」への執着が人一倍強いと思います。
にもかかわらず、いともあっさりと生を捨てられる、捨てることでスッキリするという気持ちになったことに、私自身、驚いています。

生き延びたら…

そうやって生き延びた私に待っていたのは、「鬱」独特の精神的にも肉体的にも不安定な日々でした。でも、こうして「鬱抜け」を果たし、今では、生への執着が復活し、楽しんで生きています。

自ら死を選ぶ人に対しての私の気持ちの変化

こんな経験をするまでは、自分で死を選ぶ人に対して、

『そんな勇気があるのなら、もう一度頑張ればよいのに!』そう考えてしまう人でした。

ところが違うのです。

頑張れないから死ぬのではなく、死こそ最高の、すべてを解決してくれるキラキラした素晴らしい答えだと、心の底からスッキリした気持ちで思ってしまうから、衝動的に自ら死んでしまうのです。

自ら死のうとした経験のない専門家は、このことを理解した方が良いと思います。
そして、役立てていただきたい。死のうとしている人は、口先だけのカウンセリングを簡単に見抜きます。

私は、このようなことを経験を通して知ることができました。

生への執着は2種類

「死」が怖いから生き続けたい

これは、単に、恐怖の先延ばしです。

人間、やりたくないこと、嫌なことは先延ばしにして出来るだけやらずに済ませたいという考えを持つ動物です。「死」も同様に、なるべく先延ばしにしたいものです。
そこから、生への執着が生まれます。

やりたいことがあるから生き続けたい

次から次へとやりたいことがある。
そのためには時間が足りない。死んでなんかいられない!
何としても長生きをして、そのすべてをやり遂げるんだ!

そんな気持ちから、生に執着します。

どちらが前向きかと言えば後者だと私は思います。

やりたいことを次から次へとリストアップしてこなしていき、充実の時間を増やしていく。
一方では、健康にも気を使い、やりたいことに使える時間をどんどん延ばしていく。
そうやってやりたいことのほとんどをやり切って生き、死んでいく、清々しく。

もちろん、やり残してしまったというほんの少しの後悔は残ると思います。
人間だから、次から次へと欲は生まれます。。。それは、仕方がない。
ただ、そんな後悔よりも、この人生、たくさんのことをやってきた!という満足する気持ちがその時、勝っていればそれで良いと思います。
もし、不満足なら、きっとそれがエネルギーとなって、さらに生き延びると思います。