■ 気持ちの理解
「あんたに俺の悲しみがわかるか?」
そう言われても、判らなくはないけれど完全に理解できるわけではない。
それは、ある意味、その個人の持つ「器」によるところが大きいと思うからです。
悲しい気持ちを「100」溜められる人と「10」しか溜められない人がいたとして、
その数字を超えたとき、涙があふれたとします。
「100」溜められる器の持ち主が「101」になったときにこぼす涙・・・。
それを「10」溜められる器の持ち主が、その悲しみを理解できるでしょうか?
・・・・たぶん、無理。
相手と自分がどれだけの器を持っているのか?
もちろん、それを数値化することは無理なので、相手が「100」なのか、まして
自分自身が「10」なのかどうかもわからない。
自分と相手の器の大きさもわからないのに、同じ気持ちを理解し合うことは不可能。
■ いろいろな気持ち
悲しみも楽しみも幸せも不安も・・・
気持ちというものは、相手に完璧に理解してもらえるものではない。
相手の100%の喜びは、自分の器に置き換えたら10%かもしれない。
その逆もある。
それを、どうして理解してくれないんだ!ということは酷というものです。
・・・オノマトペ。