勝ち組だの負け組だのテレビや書籍で人の感情をあおります。
僕は、すべての人が勝ち組にいると思います。
この世に生まれるためには、精子と卵子が結びつき、無事、お母さんの
おなかの中で育ち、出産を経てこの世に生まれてきますよね。
ここのところをもっと細かく考えてみますね。
例えば、僕が生まれるためには、僕を形成するための精子と卵子が結び
付いた結果ですが、精子のライバルは億を超えます。
億というライバルを押しのけて、卵子と結びついたわけです。
これだけでも超・勝ち組ですが、あの日あの時の精子と卵子でなければ
僕は生まれませんでした。
男性は、女性と結ばれなくても精子を出すことができます。
少なくとも、僕を形作った精子は、そういう無駄打ちのリスクを何度も
何度も回避してきました。卵子にしても、無駄に流れてしまう月を回避
して、あの日あの時、結びついたわけです。
そういうことを考えたら、この世に生を受ける確率なんていうものは
何十億分の一・・・いや、それ以上かもしれません。
親父やお袋が生まれることだって、そういう確率があるわけだから、
そういうことを言い出したら、もう天文学的な数字となります。
つまり、この世に生まれてくるということは、それだけで勝っていると
いうことになります。
運も手伝って、ライバルも蹴落として生まれた僕らは、生まれなかった
僕の分身たちの分まで人生を楽しんであげる責任がある。
生まれてこなかった僕は、職人になりたかったかもしれない。
生まれてこなかった僕は、スポーツ選手になりたかったかもしれない。
生まれてこなかった僕は、・・・・・
生まれてこなかった僕は、・・・・・
一億通り以上の僕の分身のために、今以上に人生を楽しみ経験しなければ
蹴落とされた分身の僕に失礼ではないかと思う。
目先の勝った負けたに左右されない。
すでに、勝っているのだから。
勝った人は負けた人の分まで責任を負うべきだ。
・・・・オノマトペ。