天職=自分にしかできない仕事
自分にしかできない仕事なんて世の中にあるのか?
自分にしかできない仕事…?
そんなものは無いと思いながらも、そういう仕事を見つけなければ、独立しても成功なんてしないと思っていました。ビジネスで成功したいので、自分にしかできない仕事を見つけてから独立をしようと思ました。
私は、その仕事を見つけるまでに多くの時間を費やしてしまいました。
結局、そんな仕事は無いという結論を見つけました。
WEBの仕事、タクシーの運転手、調理の仕事…
どんな仕事でも「向き」「不向き」はあれど、勉強なり修行なりをすれば、いつかその仕事をすることが出来てしまいます。そういう意味では、だれでもやりたい仕事をすることが出来ます。
ということは、自分だけが出来る仕事なんて、この世の中にはないのです。
”自分にしかできない仕事”という「表現」が違う
親は「あなたにしかできない仕事をしなさい。」と言って私を育てました。前述の通り、自分にしかできない仕事はこの世の中にはないと思います。この矛盾を、私はずいぶんと長い間、理解できずにいました。
親が私に、あと、もう一言だけ、言葉を付け加えていてくれたなら、こんな無駄な時間を費やさずに済んだのに…と思います。
”仕事”という言葉を”仕事の種類”としてとらえてはいけません。
”仕事の種類”としてとらえて、私にしかできない仕事を探し始めると、WEBの仕事だって、タクシーの運転手だって、調理の仕事だって…勉強と修業をすれば、だれでもできる仕事となってしまうので”私にしかできない仕事はない”という結論が導き出されてしまいます。
親の言う”仕事”は、私にしかできない”サービス”でもありません。
例えば、私がタクシーの運転手だとします。
雨の日には、お客様より先に降り、傘を差し、お客様が濡れないようなサービスをしたとします。しかし、このサービスは真似をされてしまえば、私だけにしかできないものではなくなります。
本当の私にしかできない仕事とは
親の言う”あなたにしかできない仕事”は”仕事の種類”ではありませんでした。
”経験”と”経験の蓄積”を仕事に組込み、自分にしかできない仕事を作り上げなさい…ということを意味していました。
うまく伝えることが出来ないのですが…
『その仕事をしながら経験したこと、また、その経験を蓄積させたものから生まれ出てくる自分なりの気付き、配慮や心遣いを自分の仕事に組込みなさい。』という事でした。
他人が見て、表面上は全く同じ仕事に見えても、配慮や心遣い・気配りが他の人とは全く違う…
”私に頼んでよかった!と思わせる仕事をしなさい。”という事でした。
”私なり”の気付き、配慮や心遣いは私のものでしかない。まさにこれがオリジナリティです。
しかし、良いものは当然を真似をされます。
けれども、真似をする人は、完全に私と同一人物にはなれません。つまり、私の気付きや心遣いを私の感覚で行動することまでは出来ません。表面的なものマネとなってしまいます。
私の感覚的な部分も真似をすることは、大変な苦労をするはずです。人間、苦労することを長く続けるのは難しいので、最後はオリジナルの私だけが残ることになります。
だから、真似をされても心配する必要はありません。そういう仕事をしなさい!と言われていた事にやっと気が付きました。
まとめ ~ 仕事にオリジナリティを ~
自分にしかできない仕事は、世間が良い仕事だと認めれば真似をされます。それは宿命。
けれども、真似をされたからと言って、自分にしかできない仕事が無くなったと思う必要は無いと思います。仕事を通して”私なりに感じる”ことは、他の人には真似をすることはできないからです。
10人が同じ映画を見て、10人がそれぞれ違う感想や感じ方があるように、表面上は同じ仕事をしていても、同じようなサービスを心掛けていても、その人個人がもつ”僕なり”や”私なり”は決して同じにはなりません。
決して他人とは同じにはならない”僕なり”や”私なり”を仕事に組込むことで、オリジナリティが生まれます。他人の仕事に似ているけれど、決して同じではない”自分にしかできない仕事”がそこに完成するのだと思います。
その仕事が評価されるのは、お客様からいただく声…となります。
「あぁ、あなたにこの仕事を任せて良かった~。」
という一言に尽きるのではないかと思います。
・・・オノマトペ。