「死」への恐怖は、どのように変化するのかを大先輩に失礼を承知でお聞きしたら、意外な答えが返ってきました。

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死ぬのが怖い

僕は死ぬのが怖いです。

骨になっても生きる、絶対、死にたくない!死なない!といつも思っています。

多くの人がそうだと思います。友達や親族の死に直面すると、いつか死んだら、友達や親族が先に行っているので、寂しくないか・・・なんて、その時は、一瞬、死の恐怖は和らぎます。

しかし、基本は、まだまだ「生」への執着とそれ以上の「死」への恐怖を持っています。

ご年配者の口癖

「終活~♪」

「あとは死んでくだけだから♪」

「あと、20年も生きられないから。」

「あー、もう、早く死んじまいてぇ。」

これらは、僕が実際に耳にした、複数のご年配者の言葉です。

周りの人や家族にしては、”そんなこと、言わないでよ!”と言いたくなりますよね。

出来るだけ、近しい人の死は考えたくないものだし、「生」が永遠であってほしい、今のまま、ずっと続いてほしいと思うものです。

先輩に「死」は怖くないのか聞いてみました

もう、本当にストレートに聞きました。

「死ぬのって、怖くないんですか?」

すると・・・

「それがね、ぜーんぜん、怖くないんだよ。」

って、答えが返ってきたのには驚きました。

その声は、強がりのような体の緊張や声の張りはなく、自然と心の奥から、やわらかく・・・不思議なくらい素直なトーンでした。

「僕は、絶対、死にたくないし、骨になっても生きてやる!って思っています。」

そう、伝えると、

いや、そう!

私もね、あなたぐらいの時は、絶対!死なない!死にたくない!

そう、思っていましたよ。

でも、今は、全く。

大きな流れというか、宇宙の摂理というか・・・、

スーッと、そういう中で、流れに身を任せてね・・・。

死ぬのは怖くない。

ただ、死ぬといっても、寝たきりで長く苦しんだりするのは嫌だよ。

楽しい事、うまいもの食べて、充実したい。

充実するためには、何が必要か?

楽しい事やうまいものを食べて死ねるためには何が必要かを考えて生活する。

(死の恐怖などを考える時間がもったいない)。

どうやったら、楽しくすごし、うまいものを食べて、

ある時、ぽっくり死ねるのか?

そんなんだから、全く、怖くない。

楽しい事をしたり、うまいものを食べるといっても「欲」というものがあるかぎり、今はま

だ死ねない!という気持ちになるものだけど、きっとそういう「欲」が「貪欲」ではない

から、楽しい事やうまいものを食べていても、それが途中で、死んでしまっても悔いはない

のだろうか?

どうしたら、そんな風に「死」を受け入れられたのか聞いてみると・・・

自然とそうなる。

あまりにも素っ頓狂な答えに拍子抜けしました。

もっと、人生を生きる知恵のようなものを期待していましたが、答えはシンプルかつ他人任せ・・・というか、自然現象でした。

その答えは、僕を少し安心させてくれました。

生きていれば、時間がそうさせるので、死の恐怖を克服しようとかしなくても良いという事です。自然とそうなってしまうらしいです。

無理に、どうしたら死への恐怖や生への執着、欲を無くせるのかなどを考える必要はないということです。

けれど、僕は、絶対死にたくないし、ずっと生きる!そういう気持ちです。

死と向き合う時に重要な考え方

残り時間が短いから、そして、それを自然に受け入れているから、その残された時間を、どうやって楽しくすごし、うまいものを食べようか・・・・ということだ。

”時間を無駄にせず、余計な事で時間を費やさず暮らすには?”

というところにピントが合っている。

残された時間は人それぞれに長さがある。きっと、僕は、この先輩より長いだろう。だからこそ、この時間の長さに甘えている。

もし、残された時間が先輩より短ければ、先輩のように、どうやって楽しく、うまいものを食べて生活するかを考えた行動をするはずです。僕は、僕の時間は、長いと思っているので、時間を有効に使うという行動に移せていません。

これは良くない。

残された時間というのは短い長いの違いがあっても「残された時間」なのです。その自分の時間をいつポックリ逝っても後悔の無いような使い方をしなければいけません。

どうやったら楽しいのか?

どんな料理がうまいのか?

そのための方法を考え、実行に移し、生活する。これが大切。

先輩は嫌がらずに話してくれたので、次回は、もっと、もっと、いろいろ聞きたくなりました。

追って、このブログでご紹介いたします。