アリとキリギリスというお話。
僕は、知識がないから、このお話がどのように生まれたとか良く知りません。
でも、ガリバー旅行記は、当時の世の中を風刺したものだという事くらいは、知っています。
きっと、アリとキリギリスもキリギリスをぜいたくな王様とかになぞらえた風刺があるのかなぁと思いますが、そうした風刺についてブログを書こうとは思っていません。
母から言われる一言
実は、このアリとキリギリス、結構な確率で幼少期に読み聞かされています。
そして、最後に母親から
「将来、キリギリスさんみたいにならないように、しましょうね。」
と言われます。
アリさんの様に真面目にコツコツと蓄えて、将来に不安が無いように、遊んでばかりの人生を送らないようにしましょうねというメッセージを母親から受け取るわけです。
子供ながらに納得できない
僕は、どこか納得のいかないような引っ掛かりを幼少期からずっと持っています。
僕の中のアリとキリギリスの生活
キリギリスは、好きなように生きて、最後はみすぼらしく飢え死にしてしまうわけですが、人生のほとんどを楽しく生きていたのだから良いのではないでしょうか。
これは、想像だけれど、キリギリスは、雨が降っても、虹が出るぞ!キレイだぞ!とか、傘を貸すことで、あの人の役に立てて嬉しかった!などと、好きなように生きていたと思います。
音楽だって、楽しい音色で他を明るくしたと思います。
一方、アリは、蓄える事に必死。自分たちの事ばかりを考えています。突然踏みつぶされてしまえば、その蓄えも使わぬまま。ただ、ただ、蓄えるだけ。
雨が降れば、蓄えに影響がでると雨を憎み、それでも雨の中を這いずり回り蓄える。人生の楽しさは「蓄えて、備える事」だと言わんばかりに、そこしか見ていません。
アリが長寿を全うできたとして、最後の最後、蓄えがあって良かったと死ぬだろうけれど、それまでの人生、何が楽しかったのかと言えば、キリギリスの人生の楽しさには、足元にも及ばないことは明らかです。
アリとキリギリスから僕が得た教訓
この僕の想像での両者の比較は、かなり両極端にあります。
しかし、母親が教えてくれたような、どちらが良いかを比較して、子供に”アリさんのように真面目に将来を見据えて生きなさい”ということを教える本ではないと思うのです。
人生楽しみながら、将来も見据えて、生きなさい。
という、アリとキリギリスのそれぞれの良いところを真似をして、自分の人生、最後の最後まで楽しく生きるために書かれた本だと思うのです。
どちらかになるという必要はないのです。
このお話には、いろいろな結末があるようで、その結末からいろいろな教訓を想像するブログも沢山ありました。それぞれが、それぞれの想像を楽しめるという意味では、奥の深い本であり、大人になればなるほど、味わいのある本だと思います。