【センドク】読書ノート 36冊目|白痴

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参考になるかどうかはわかりませんが、読んだ本の感想などを書いています。
結構、好き勝手なことを書いています。ネタバレもあります。

40代後半まで読書嫌いできた私ですが、2018年9月に読書を始めました。
そんなきっかけはこちらです。

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2024年1月19日に、私の不注意からブログのデータを全部消す!?という失態を犯してしまい、なんとかデータの復旧はできたものの投稿日時がすべて”2024年1月19日”となってしまいました。

読了本だけでも読んだ順番ごとに並ばせたい!
…と、架空の投稿日時を登録しながら、記事の並べ替えを行いましたので、記事の投稿日と「読了日」が違うこともありますがご理解ください。
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せっかくの機会なので、過去の記事に対しての「てこ入れ」および「読書感想などの追記」を行っています。

読書ノート

タイトル名:白痴

著者:坂口安吾

読了日:

「白痴」・・・疲れた。

ところどころスッと入ってくる情景はあったけれど、まぁ、なんと一文が長いのだろう。
「。」でなかなか区切れない。「しかし」という言葉もたくさん出てくる。

「然し」を検索すると、以下の通り。

① 前に述べたことや相手の判断と対立する事柄を話しだすときに用いる。そうではあるが。けれども。だが。 「天気は悪い。-、出発する」 「実験は成功した。-、喜んではいられない」 「『絶対彼が犯人だ』『-、証拠はあるか』」 「面倒くさいが、-そうもいっていられまい」

② 前に述べたことを受けつつ、話題を転ずるときに用いる。それはそれとして。 「よく会社をやめる決心がついたね。-これからどうするつもりだい」

③ 感動を込めて述べ始めるときに用いる。それにしても。 「 -、豪壮な邸宅だなあ」

この本でよく見かけるのは「私は然し、この青年は・・・」のような表現で「然し、私は、この青年は・・・」ではない。後者であれば通常よく用いられる表現だけれども、前者の方は、僕には何を ”然し” がうけているのかわからない。

こういうのって純文学っていうのか?

本のジャンルといっていいのか、僕にはまったく理解できていない人間が「純文学」と検索すると、その中に坂口安吾『白痴』と載っていた。

なるほど、純文学とは何なのかと読み進めると、”大衆小説に対して「娯楽性」よりも「芸術性」に重きを置いている小説を総称する、日本文学における用語。”と書いてあった。

このまわりくどい表現が芸術性であるわけなんだ・・・・。そっか、だから三島由紀夫も疲れたんだなと思っていたら、やはり、三島由紀夫も載っていた。

僕は、バカだから、小説と純文学に区別があるものと思っていたけれど、純文学も小説なんだということが、この本をきっかけにして勉強できた。

「純文学」・・・・嫌いだな、いまのところは。

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