【センドク】読書ノート 477冊目|哲学しようよ!

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

参考になるかどうかはわかりませんが、読んだ本の感想などを書いています。
結構、好き勝手なことを書いています。ネタバレもあります。

40代後半まで読書嫌いできた私ですが、2018年9月に読書を始めました。
そんなきっかけはこちらです。
————————————————-
2024年1月19日に、私の不注意からブログのデータを全部消す!?という失態を犯してしまい、なんとかデータの復旧はできたものの投稿日時がすべて”2024年1月19日”となってしまいました。
読了本だけでも読んだ順番ごとに並ばせたい!
…と、架空の投稿日時を登録しながら、記事の並べ替えを行いましたので、記事の投稿日と「読了日」が違うこともありますがご理解ください。
————————————————-
せっかくの機会なので、過去の記事に対しての「てこ入れ」および「読書感想などの追記」を行っています。

読書ノート

タイトル名:哲学しようよ!

著者:白取春彦 (著)

読了日:2023年4月21日

この本を購入した目的

哲学って、どんなものなのかを知りたくて、入門的な本として購入してみました。

私の目的について書かれている重要なページ要約と感想

P51 人間は本来、いい人格を形成していくことに喜びを持っている

P55 私たちは簡単に「この映画は退屈だ」とか、「退屈な小説」という。退屈しているのは自分なのに、自分ではないものが退屈な性質を持っているかのように
⇒ 確かに、受け止める側の問題であり、映画や小説は、ただそこにあるだけだ。ここの気づきは大きい。

P155 あなたがこの毎日を本当に充実して生きているかどうかが分かるテストがあります。それは、次の質問にあなたがどう答えるかです。「もし、あなたが何度死んでも、今とまったく同じ人生が限りなくくり返されるとしたら、あなたはどんな気持ちになりますか?」

P159 「今と同じこの人生、この瞬間がまたやってきても、素直に受け入れてくり返せるくらいに今の瞬間を充実させてみろ」

P184 キルケゴールは「どうやって生きていけばいいんだべ」と悩み続けたのです。生き方に不安を覚えるということは誰でも経験することですが、やはり不安を覚えたままではまずいわけです。不安を覚えたままでいることは二の足を踏むのを恐れて片足を上げたままでいるような状態だからです。いわゆるひきこもりの人たちも不安を抱えています。彼らは模索しながら、自分でこれだと納得できる生き方や方法を得ていないのです。
けれども、そうしておびえていることは、ケガをしない自転車の乗り方を部屋の中でいつまでも考えているようなことと同じなのです。
どれだけ頭がよくても、世界中の本を読んで工学博士になっても、自転車に乗らずに自転車に乗れるようにはなりません。可能性の数を勘定したり、可能性のパーセンテージを考えていても、それは蜃気楼のような幻なのです。
では、どうすれば不安をぬぐいさって現実へと踏み込んでいけるか。はっきりいってしまうと、そんなことは無理です。もっと正確にいえば、不安をぬぐいさって現実へと踏み込んでいく人なんかいないのです。みんなどうしているかというと、不安を抱えたまま現実へと足を差し出しているのです。
技術や芸事のプロも同じです。プロであるからいつも自信に満ちているのではなく、プロであってさえ不安を抱えたまま物事にぶつかっていく方法しかないのです。
準備不足、力不足だと自分で感じていても、「もう、しようがないじゃん。だって、これがおれなんだもん」とさらけ出してしまうような一種の開き直りでいくだけなのです。
『雪国』などの小説でノーベル文学賞を受賞した川端康成でさえ、「あきらめたところから書き出すんだよ」といっています。
いい小説を書きたい、うまい書き出しから始めたいと思って思い悩んで、それでも結局どうしようもなくて、最後にあきらめてしまう。書くのをあきらめるのではなく、うまくやりたいという気持ちをあきらめるというのです。
巨匠にあってもこの態度。。。ためらってばかりいると、ためらうだけで人生終わっちまうよ。

P187からはじまるプラトンの「イデア」については書ききれないので、P187とだけブックマークしておく。

P205 哲学にはさまざまな考え方がある。これこそが哲学だという考え方がどこかに用意されているわけではない。哲学はたった一つの正解を求めるものではない。

P206 …経済的に自立していることを示すだけでは、オトナはオトナたりえない。自分なりの考えをもって、世間に流されない生き方をしなければ…

この本は、私の目的を達成させたのか

哲学には、これが哲学だという考え方がないということを知れたのは良かった。
つまり、哲学に救いを求めようとしても、そうした教えはすごく頭のいい人が出した考えであり、その人の意見だということだ。誰かに証明されたわけでもなく、なるほど確かに!という人がたくさんいる意見だ。

それが自分にあっているかということは、自分にしかわからない。
その考え方を参考にするもよし、しっくりこなければ、取り入れなければいい。

そうなると、哲学とは、自分だけで悩むより、同じテーマで悩んだ人の意見も聞いてみれば?もしかしたら、スッキリ解決するかもよ?というものだったりするのかもしれない。
はたまた余計に頭が混乱するかもしれない。
そういう予感があるときは、一旦、哲学は遠ざけた方がよいかもしれない。
踏み込むとカオスに陥るからだ。
そうなると、悩み解決のためのヒントを得るどころではない。

この本についての感想

入門書という感じで読んでみたが、もっと手前のステップかもしれない。

読書に関する記事