優先順位が「お金」から「人生の充実」へ、そんな時代がやってきた。

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昔、同じようなことを書いた記憶がありましたが「国語」と自分のブログ記事を検索しても出てこなかったので、もう一度、書いてみることにしました。

最近、読んだ本「本を読む人だけが手にするもの」に影響された部分があるのかもしれません。

参考になるかどうかはわかりませんが、読んだ本の感想などを書いています。結構、好き勝手なことを書いています。ネタバレもあります。40代後半まで読書嫌いできた私ですが、2018年9月に読書を始めました。そんなきっかけはこちらです。-------

高校の国語教師とのバトル

私の気難しい性格

私は、高校生のころから変なところで気難しいところを持っています。

それは、今でも持っていて、『人生、損をしているなぁ。』と、我ながら苦笑いする時があります。

中学2年から数学はめっぽう苦手になりますが、理由は簡単です。
「公式」というものを信用できない性格だからです。

例えば、三平方の定理。

誰がどのようにこのことを確かめて証明したのか?
どうして、こんなことに気が付き、それを証明しようとしたのか?
何に役立てようとしたのか?

そして、本当にこの公式はあっているのか?(公式の証明を誰かしているのか?)

こういう考えが次から次へと湧いてきてしまうため、この公式を使えば回答を導き出せると授業で教えられても、そもそも、この公式を信用していないので、使えないのです。
だから、数学のこの手のテストでは、定規で実測して解答していました。

当然、定規での実測なんかでは正解を求められません。
たまに正解するときもあるのですが、計算式が一切なく、いきなり正解があるので、満点はもらえず△です。もしかすると、カンニングを疑われていたかもしれません。

まぁ、そんな風な性格だったのですが、高校に入ってもそうした性格は変わりませんでした。

そして高校の国語のテスト

高校2年の中間テスト。
答案用紙を返され、みんなで答え合わせをする授業中で問題が起こりました。

一通り、クラス全員に答案が返されたのは授業が始まって10分ほどでした。
先生の解説とともに正解に対する考え方を先生が説明をし始め、これも一通り終わりました。

授業時間は残り、20分ほど。
先生が「質問のある人!?」と、残り時間を質疑応答の時間にあてたので、私は質問をしました。

感想を述べよ・・・という問題に対して「△」が付いていることが、私は、気に入らなかったのだと思います。

私: ”僕の感想は僕だけのものなのに、それが正解とか不正解とか、どうして他人が点数を付けることができるのか?

といった内容の質問をしました。

先生:”このような感想を述べよといった問題でも、解答方法というものがあって、そういう方法に沿って感想を答えないと正解ではないのです。

と、サラッと私に先生は説明しました。

けれども、

私:”いろんな感想があって良いはずで、答えは一つではない。

と食い下がると、先生の顔色が変わりました。

先生:”1+1=2。数学は問題に対して1つの答えしかないように、国語もそうなんです!

このように言う先生に、僕は、意見をぶつけました。

私:”もし、1個の粘土と1個の粘土を足したら「2」ではなく、大きい「1」になります!

先生の表情は、完全に頭に血がのぼったように見えました。

その後、どんな言い合いをしたのかは覚えていませんが、授業はそのままチャイムが鳴って、終わってしまいました。

先生:”納得がいかないのなら、職員室に来なさい。説明してあげますから!

こんなことを言われたような気がしましたが、私は行きませんでした。

国語の先生と第2ラウンド わざと寝たふりをする

先日の一件以来、私は、この国語教師のことは大嫌いで、どこか小ばかにした態度をいつもとっていました。

ある日、私は授業中に”寝たふり”をしていました。寝たふりですので、しっかり授業は聞いていました。

「はい、キミ、答えなさい!」

と、先生に注意されるのを待っていました。

こういうところが、私の僕の悪いところです。
けれども、相手にギャフンと言わせたくて、どうしてもやってしまう性分なのです。

”うわさの広がり方”というものをわかりやすく表現するには、どういう表現をしたらよいかというような… みんなでそれを考えるところだったと思います。

そんな時、私の寝たふりに先生が食いつきました。

先生:「はい、そこで寝ているキミ!答えなさい。

少し、ボーっとした顔の表情を演技をしました。クラスの友達も私の慌てた様子にニヤニヤ。

私:「うわさは、例えるなら、たった一滴のコーヒーが敷布やガーゼに落ちたときのように、ドンドンまわりに広がっていきます。

こう答えると、先生は、きょとんとした表情で・・・・

先生:「寝ていて、そこまでできるのなら、起きていたらもっとできるな!

と、苦し紛れの一言。(内心、やられた!と思ったのかもしれません。)

私は、してやったり!と、腹の底で喜びました。

そんな性格が災いして…

仕事60のどこかに書いたと思うので、あまり詳しく書きませんが、こんな性格なので上司とか年上とか、取引先の偉い人とか… そんなことは関係なく、自分の納得しないことは、直接、本人に意見をぶつけてしまいます。

演台とマイクと水を用意してやるから、そこでみんなの前で講釈たれろ!

なんて、支店長に言ったことがあります。

山一證券の天下りで、自分は使えもしないパソコンで暇さえあれば株の動きしか見ていない。それでいて、社員にはノルマだの売って来いだの…頭にきていたんでしょうね。

ヒゲと営業は無関係です!

当時の卸先量販店の店長に言った言葉。
当時は、ヒゲを生やした営業マンなんていませんでした。
それゆえ、生意気だの不真面目だのと言われた時代でした。

こう言い放った後日、私の上司が謝りに行き、私は担当を外されました。
けれども、私自身、上司や会社に対して一切謝ることはありませんでした。

今となれば反省すべきところはたくさんあるし、こうしたことを武勇伝のように自慢するつもりもありません。過去を振り返りながら自己分析をしているだけです。

私は、こういう筋の通らないことが大嫌いなのです…、きっと。

これからの時代

答えは一つではない”という考えをどこかに持っていないといけないと私は思います。

会社が求めることに対して、それを早く達成し、見返りとして出世を果たす。その繰り返しによる暮らしぶりが終わりつつあります。

それは、若者から始まり、徐々にシニア層にまで広がっていきます。

人生とは何か?
生きがい、やりがいとは?
自分は何をしたいのか?
何のために生まれてきたのか?

こうしたことを考え、会社への依存度を低くして、自分の時間を増やしていくという生き方が、ゆっくりではあるけれど、確実に広がってくると思います。

機械化の矛盾

人間が1週間かかることも、パソコンにやらせると1時間で終わるような作業があります。

本来、人間が楽になるために機械化が進んだはずです。先の例でいうならば、残りの6日間と23時間ほどは、人間はボーっとしていても作業が完了します。

このボーっとする時間で旅行に行ったり、家族と食事をしたり、人間が人間らしく生きるために機械化が行われたはずでした。

しかし、どうでしょう?

早く作業が終わるので、空いた時間に新しい作業を始め、それも機械化できると、さらに新しい作業をあてがわれ… 結局、毎日、残業しても仕事が終わりません。

これを、私は「機械化の矛盾」と呼んでいます。

なんか、おかしくないですか? これで良いんでしょうか?

こういうことに気が付いた若者は、新しい方向に進み始めています。

お金より優先順位の高いものがある

人とのつながり、やりがいといったものがお金より優先順位が高いという世代が確実に存在します。一昔前なら考えにくいことでしたが、もはや、こういう世代や人種が増加しています。

私は、これが正しい世の中だと思います。

より良い人生を送るために、自分の時間をどうやって使うか?

あるものを工夫して、時には複合的に掘り下げたり積み上げたりしながら、1つの道具をその目的以外に使ってみたり… そういう工夫に楽しさや発見を見つけて、自分の人生を切り開いていく…。

こういう生き方は、バブル期とバブル期以前の大人には理解ができません。
なぜなら「お金」がすべてで青年期を謳歌した人たちだから。

口では「お金より大事なものがある」とか言ってはいるけれど、「お金」が最優先で働いてきた世代には、ツールを複合的に工夫するという手段を思いつくことはできません。

この世代は、一つの使い方しかできない道具を、いかに人より早く使いこなせるかという目標に向けて努力することは得意ですが、その道具でその道具の機能以外のものに使ってみるという発想力には乏しいのです。

人生とは?と考える時、バブル期やバブル期以前の世代より、今を生きる若者の方が、素晴らしいビジョンを持っているはずです。機械化の矛盾に始まり、大人の人生論の矛盾を感じ取ってしまっている子供たちの方が、どうやって生きるべきかを知っているに決まっているのです。

これからは、そんな子供たちの人生を充実させること最優先の時代がやってきます。
働くことの意味に矛盾を感じて、ただただ噛みつくことしかできなかった私の時代よりは、私のような人間が生きやすい時代になってくると思います。

私も、そんな時代の変化を楽しみにしています。
ようやく、私の時代が来たと喜ばずにはいられません!