1,000冊読むための本の「断捨離」ルールを設定してみました。

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本の断捨離

読んだ本に愛着が出てきてしまう

本を読んだら、捨てられない。

ドッグイヤーやマーカーがあるから、あとで読み返したいという気持ちもある。

けれど、なかなか読み返さないものです。

捨てるのはもったいないし、かといって読み直すのもいつになるかわからない。

心を鬼にして断捨離せずとも本を人と思えばどうだろう?

そんな時は「本」を「人」だと思ってみてみてはどうだろうか?

人に会い、その人の考えることをいろいろお聴きして、自分の意見と交換した。

その後、別れ、帰路につき、今日会った人のことを思い出し、眠る。

この時は、この人とずっとお付き合いがあるものだと思っています。

また、近日中に会いたいと思っています。

しかし、数日もすると、良い人に良い話を聞くことができたという記憶は残っても、その後、何年も会わない人になってしまうというのはよくあることです。

または、その後、一生会わないという人もいると思います。

本は、人が書いたもので、僕はその人と出会ったということです。

本を読みながら、その人の体験や意見を聞き、僕の意見や気持ちと交流する。

そして、読み終え、別れる。

この時点では、また近日中に読みたい(会いたい)と思っています。

しかし、そのまま読まずに(会わずに)何年も過ごすことは、実際に人に会った場合と同じではないでしょうか?

そのまま疎遠になるのは、人に限らず、本もまたそうなのだと割り切っておけば、ためになることが書いてあり、折角、そこにドッグイヤーやマーカーをひいてあったとしても、処分できるし、処分することに罪悪感が無くなると思うのです。

人に会い、良い事を聞いて、ためになったとしても、会わなくなってしまう人もいるのと同様です。しかし、その人とは疎遠になっただけで、縁を切ったわけではありません。

それと同じで、疎遠になっただけで、本の内容は自分の中にあるということです。その時の自分の考えや時間を捨てるようで抵抗があるのかもしれませんが、記憶は残ります。

人の場合でも、その時、話したことや感じたことは薄れないように、その本に感じたこと、気に入った内容も、あまり薄れないように思います。

薄れないからこそ、近くに保管しておいても、読み返さないのかもしれません。

また、いつでも読み返せるという安心感は、いつでも会えるという安心感と似ています。

しかし、会える距離にいながら、何年も会わなかったりするわけだから、本も近くにあるけれど、読まないということは当たり前の流れなのかもしれません。

そして、先ほども書いた通り、記憶に残り薄れないからこそ読み返さないのであれば、処分しても大丈夫!本の断捨離に罪悪感は必要ありません。どうしても必要な本だけ残せばよいのです。

物理的なアプローチをするのであれば、限られたスペースを整理しなければ、新しい本との出会いに影響が出ます。だから、処分はどうしても必要なのです。

本に愛着が出てき始めたので、先に自分の本の断捨離ルールをこのように設定してみました。

本を1,000冊読むためのルールも設定↓しています。

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本は「人」ということに気が付いたことは、とても僕を楽にさせてくれたのだけれど、この考え方は、別の形で驚くべきシンクロを見せました。

人に借りた本を読んでいると、まさに「本」は「人」だという認識の著者に出会ったのです。

内容は断捨離ではないのですが、この考え方のシンクロは不思議な縁を感じました。

だって、この記事をまとめて、次に読んだ11冊目の本に書かれていたのですから。

その11冊目の本は「ほんとうの味方のつくりかた」といいます。

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