モノの見え方と感じ方。購入対象商品として残るために必要なこと。メーカーの責務。

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こういうまじめな記事は、あまり人気はないし嫌われる傾向にあるのは知っています。

最近のモノづくりには「薄さ」を感じてしまいます。

宣伝も商品も使い捨てからくる薄さがあります。そのことについて書きたくなりました。

宣伝手法を変える必要性
~ モノの見え方から感じ方へ ~

あるリサーチ会社が商品購入の決め手を調査した結果は以下の通り。

  • 値段型商品に比べて安いから
  • 特売をしていたから

これは、最初にモノを買う時の動機付けです。

継続的に購入しているモノに関して、どうしてそれを買うのかを調査した結果は以下の通り。

  • 品質に満足をしているから
  • 自分に合っているから

という結果となっています

この調査には、

対象人数や年齢や性別、どういう商品ジャンルについて調査したのかを公開していない。

自分の場合と置き換えて、モノを買う時のことを思い出してみると確かにそうです。

しかし、これだけではない重要な部分があるのではないかと思います。

うまく伝えられないのですが、モノを買う時、その商品だけを見ていないということです。

他店より安い、特売、品質、自分に合っているというのは、その商品のことだけです。

実は、僕も含め消費者は、以下のような俯瞰的視点もかなり意識していると思います。

  • そのモノがある部屋の雰囲気
  • それを持っている自分と街への融合
  • 他人の目

ということです。

具体的に例を挙げてみます。

  • あれを買ったらお部屋がカッコよくなる・可愛くなる
  • これを身に付けて渋谷に行ったら街に溶け込む
  • これを着て行ったら会社では浮いてしまうだろうか

以上のことを、モノを買うまでの意識行動としてまとめてみます。

モノを買う直前の意識行動は、リサーチ会社の調査結果である4つを意識します。

漠然と何かを買いたいと商品を探しているときは、俯瞰的視点の3つを意識します。

消費者が俯瞰的視点で漠然と商品を選ぶとき、購入対象商品として記憶に残る事が重要です。

メーカーは単なる商品の心地よさとか安さといった見え方を宣伝するだけではダメなのです。

消費者自身がどうみられるのか・お部屋全体の雰囲気・世間の目を伝えることが重要です。

消費者がそのイメージに好感が持てたとき、初めて商品購入に向けて価格調査を開始します。

メーカーが行うべきこれからの宣伝

この方法は、余計な手間がかかり会社では「無駄」と判断されるかもしれません。

しかし、無駄なようで余計な手間がとても重要なのです。

今までの宣伝

「鉛筆」を商品の機能や価格だけを伝えようとすると以下のようになります。

鉛筆の色や長さを伝え「鉛筆」を「鉛筆」らしく伝えます。

例えば、この写真に加えて、もう一枚・・・先端部分の写真もあるかもしれません。

そうやって ”折れない” ”書き味なめらか” といった文言と一緒に「鉛筆」を宣伝します。

しかし、この宣伝方法は『鉛筆の購入』を決めた人が参考にする宣伝です。

これからの宣伝

先ほどのように「鉛筆」が1本、机の上にある時と比べていかがでしょうか?

「オレンジの物体」が「白い変な何か」に刺さっていると感じたのではないでしょうか。

視覚的に「鉛筆」ととらえることができず「オレンジ色」の何かとして認識したと思います。

そして、すり減った消しゴムらしき部分をみて『鉛筆かも?』と感じたのではありませんか?

”すり減った消しゴムらしき部分” 以外にもいろいろなところを見たと思います。

パソコンモニタ、プロモデルらしき箱、奥のウォークマンやそれら色を認識したと思います。

それらを背景に中央に鉛筆らしきものが映っている。

そう考えると、

「白い変な何か」は「鉛筆削りかも?」となり「オレンジ色」は「鉛筆」と認識されます。

この思考プロセスの中で「鉛筆」は俯瞰的な情報を従えて中央に映っています。

これを見た消費者は『あんなデスクまわり、可愛いな。』とか、俯瞰的にモノを見ます。

鉛筆があるから鉛筆削りがあるわけで、その関係性は他の商品とも関係性を生みます。

それらをいわゆる「雰囲気」として消費者は感じ取ります。

その「雰囲気」が気に入れば、それを自宅に再現したくなります。

必然的に「鉛筆」も購入対象商品となります。

これからは、購入対象商品にしてもらうまでの宣伝が必要になります。

使い捨ての文化の果てに

余計なことに気を回して宣伝していられないのは、使い捨てという文化が背景にあります。

サイクルの短い消耗品にそこまで時間をかけていられないのです。

使い捨ての文化というのは、今後、何かを残していくということはありません。

修理してモノを長く使うという文化

<金継ぎ>

昔はモノを大切に長くするという文化が今より色濃く残っていました。

例えば、お皿が割れたとします。

そんな時「金継ぎ」という技術でお皿を修理して使っていました。

このことで、金継ぎという技術とお皿が後世まで残るようになりました。

そのお陰で、当時を知ることができる文化遺産を博物館で見ることができます。

使い捨て文化でなくなるもの

例えば、気に入ったカメラを修理に出すと

「修理するより、買った方が安いし最新のものが手に入りますよ!!」

と、言われてしまいます。

新しいモノを修理するより、新品を安く買えるので、結局、新しい方を買ってしまいます。

その時点で、古いカメラは使い捨てとなります。

そうやって古い機種は次世代に残ることなく消えていきます。

修理をするという技術も一緒にすたれていきます。

この背景には、修理部品のストックも影響を与えています。

最近のメーカーは、何十年も修理用のパーツを在庫をしておくことをしません。

そのため、そういう部品を作ったり取り寄せるよりも、新商品を薦めるのです。

メーカーが頑張らなければいけないこと

王道と脇道の区別をすること

王道を残し、脇道との区別をしっかりつける。

メーカーは、使い捨ての脇道ラインとは別に王道のラインも持つべきです。

世の中には、ずっと同じものを使い続けたい人がいます。

例えば、日産なら「スカイライン」。

スカイラインであれば、どの時代に発売された車種でも修理用パーツを在庫しておく。

これが「王道」としての製品ライン。ずっと続けていくラインです。

スカイラインを選んだ時点で、この先ずっと修理部品が無いという不安とは決別できます。

消費者は安心してスカイラインに乗り続けることができます。

「スカイライン」以外の車種は、数年したら修理用パーツは生産を打ち切ってしまう。

しかし、それだけに特殊で時代に合った、もしくは最新のカッコいい車に仕上がっている。

そういうラインを脇道として持つ。

これによりスカイラインは100年後も「スカイライン」」として残り続けます。

そして、その修理方法や技術も進化しながら蓄積され残っていきます。

車に限らず、メーカーはそんな経営が必要です。

パーツの在庫

王道ラインでも触れた通り、ずっと乗り続けられるようにするためには修理が必要です。

「スカイライン」はすべて修理可能ならパーツ在庫が膨大となります。

年代別の「スカイライン」に対応する修理パーツをすべて取りそろえるのは至難の業です。

しかし、その努力が100年後の「スカイライン」を支えるのです。

大事に長く使う、使ってもらう、使えるような環境があることがメーカーの目指す方向です。

まとめ

長々とまとまりのない話となりました。

日本全体が、僕を含め、何か薄っぺらい方向に流されている気がします。

これが解決策ではないけれど、こういう面倒で余計な手間の中にこそ重厚さがあります。

その重厚さは「自信」や「伝統」というものにつながるのではないでしょうか。