時間のある時にどうぞ。人生の「良い時」も「悪い時」も『自分』のものだということを理屈で説明してみました。

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人生の「良い時」「悪い時」について

人生「良い時」も「悪い時」もある。

ずっと昔から言われ続けていることです。

「良い時」が3回続いたら「悪い時」が3回続くというものではなく、トータル的なバランスで見て人生はそのようになっています。

当たり前ですが、自分の人生に起こる「良い時」「悪い時」はすべて自分のものです。

人(ひと)の生(せい)

人(ひと)の生(せい)と書いて「人生(じんせい)」と読みます。

「人」は各々自分を指していて、自分自身を「生きる」ということを意味します。

他人(ひと)の生(所為:せい)

同じ「ひと」の「せい」と書いても意味合いが違うものがあります。

たとえば、テーブルや本棚の角に足の小指をぶつけたとします。(痛いですよね!)

そんな時『誰だよ!こんなところに置きやがって!』という気持ちが芽生えます。

たとえば、シートベルトをしていなくて免許の点数と罰金を取られたとします。

そんな時『俺だけじゃないじゃん!他も捕まえろよ!』と言ってしまいます。

足の小指をぶつけたのも、違反切符を切られたのも”他人のせい”ではありません。

自分がいけないのです。

人生はバランスで出来ている

人生がバランスで出来ているのなら、「良い事」だけを受け入れることは出来ません。

「悪い事」があったからこそ、「良い事」を十分に噛みしめることができるです。

先程のように「悪い事」は他人(ひと)の生(せい)にするということは、「悪い事」を他人(ひと)の人生としてしまうことです。

もう一度、いいます・・・自分の人生ではなく、他人(ひと)の人生になってしまいます。

「悪い事」を他人(ひと)にやってしまった分、「良い事」だって少なくなります。

足の小指がジンジンして痛い!それが治まってくるから、普通の状態を有難く思えます。

そういうものなんだと思います。

他人(ひと)の生(所為:せい)にしない

自分はおっちょこちょいで、少し頭が悪い、段取りが悪いとどこかで意識しておいた方が良いです。

そうすれば、テーブルの角に足の小指をぶつけたりしないと思います。

『焦って何かをすると、俺は必ず痛い目を見る!』というふうなことを、いつもどこかで意識していれば、足の小指をぶつける事も少なくなります。

その都度、イラッとしたり、他人(ひと)の生(せい)にしなくてすみます。

穏やかに、ゆったりと人生を過ごすことができます。

つまらない事に時間をかけなくてすみます。

まとめ

「良い事」「悪い事」はすべて自分の人生です。

他人(ひと)の所為(せい)にするということは、他人(ひと)の生(せい)にするということです。

これはすなわち、自分の人生ではなくなるということです。

人生はバランスで出来ているので「悪い事」を他人(ひと)の人生にしてしまえば「楽(らく)」かもしれませんが、そうすることで「良い事」はバランスの法則により、経験することは出来ません。そういうものです。

それでも人は「悪い事」を好きではありません。

だから、なるべく「悪い事」が起きないように、人生を穏やかにゆったりと過ごします。

人生を穏やかにゆったりと過ごすためには、自分自身を少し頭が悪くて、段取りの悪い人間だと意識することです。

そうすれば、あらかじめ知識を頭に入れたり、計画を立てたり、少し早めに行動します。

このことで、少しくらいの「悪い事」は回避できます。

それでも「悪い事」を経験したら、それを「自分の人生」として受け入れます。

受け入れることで「良い事」がバランスの法則でやってきて、その「ありがたみ」を心の底から十分に噛みしめることができます。

全ては心の持ちようということになりますが、何かのヒントになれば幸いです。

・・・・オノマトペ。

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