ブレない思考(頭)と心

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僕が、ある時、周りが見えなくなって、芯がブレたなと思った時に読み返すページとして、一番目立つところに置いておこうと決めたぺーじなので、人様が読むことを想定した文体にはなっていません。

それでも、お読みいただけるのであれば、どうぞ。

何のために仕事をするのか、好きなことで飯は食えないのか・・・どうすればいいのか。

仕事が好きになるとか、好きな仕事を探すとかは表面的なこと。

そうした「生きがいと仕事を両立するための本」を手に取ると、両立できる方法が書かれていると思って購入した自分をガッカリさせることになる。

仕事の対価としての報酬(お金)、そして、お金で自分らしい暮らしをするという事実を避けては通れない著者は、そういう関係性を「しかたがないもの」として説明する。

その「しかたがないもの」を説明しているうちに論点がズレはじめ、最終的には精神的なスキルアップが必要だと説明しだす。

そうした精神的なスキルアップには「出世のためにはいろいろ経験しろ」「相手の気持ちを第一に考えること」といった自己成長を促す。そうすれば問題が解決し始めるようなことを、世の中の一流選手やスターを例に説明しだす。

そういう本を何冊読んでも「生きがいと仕事を両立」するためのヒントをつかむことは無理。
そもそも、著者が考え始める次元というか、深さが、「解」を求める僕の次元とは違う。

そういう自己啓発本を何冊も読みあさって、本の言う通りにして、好きなことを探し始めて、それに呼応する仕事を見つけようとしたり、今、働いている会社の仕事を好きになろうとしても、自分の心が求めている「解」を得ることはできない。まして「生きがいと仕事を両立」の実現は不可能。

「生きがいと仕事を両立」するためには、最初に「好き」があって、そこに同時には「仕事」と「お金」は付随しない。

多くの著者は、同時にそれらが発生してしまうことを「仕方がない、それが現実だ。」として説明を始めるが、そうではない。

何よりも「好き」が最初にあって、それだけがしばらく続くことが重要なのだ。

好きに付随させて、暮らしのためのお金を考えるから、仕事が面白くなる。

好きに付随させて、仕事を選ぼうとするから、楽しくなくなる。

いろいろ付随させない!

「好き」を続ける事が、何よりも重要で、そこから自然と導かれていく。

昔、「○○で遊ぶ人、この指と~まれ!」なんて、子供の時、遊んだことがある。

この指とまれ!と言いだす子供は、決まって、○○には面白い遊びを入れて叫ぶ子供だった。

それ、面白そう!と僕は飛びつく方。

悔しいから、僕も、この指とまれ!といったけれど、提案する遊びが面白くないのか、あまり人は集まらなかった。

まさに・・・・こういうことだ!

楽しくて、面白そうな事をいうから、人が集まり、遊び始める。

集まって遊んでいるうちに、ルールが変化したり、遊びが進化する時もある。

そうやって、オリジナルの遊びが生まれ、定番の遊びとなる。

まさに・・・・これなんだ!

人気者のヒミツは、楽しいことを提案する。

そして、ひとりでも、いつも楽しそうに遊び始める。

そのうちに、仲間が集まる。

人気者は、仲間とともに、自分の遊びを一緒に変化させることも楽しむ。

俺が最初だ!なんて一切言わない。

自分も皆も楽しければいいのだ。

そういう人気者になれない人が、ほとんどだ。

僕も人気者のほうに集まって行った仲間の一人だ。

そのころから、そういう体質で、今の今まで、そのままだ。

それが当たり前になっている。

けれど、違う。

こういう事だと分かったから。

仕事にしてみても、まず、仕事やお金のことを考えない。

「好き」なことを好きなだけやる。。。

あの時の人気者のように、ひとりでも楽しくやる。

「好き」なことだから「楽しい」に決まっている。だから、続けられる。

続けているうちに「楽しさ」に引き寄せられてくる仲間が生まれる。

子供の時の、この指とまれ!と同じ現象だ。

そうやって仲間と楽しさを共有する。

僕は、僕が言いだしっぺだと言わない!

誰でもいいんだ、誰が始めたかなんて!

みんなで楽しめれば。

仲間が増え、仲間と楽しむうちに、仕事となりそうな現象が起こるかもしれない。

・楽しそうだから取材させてくれ!

・仲間でおそろいのTシャツ作ったら人気が出た!

・仲間に器用なやつがいて、仕事の依頼が来た・・・

まぁ、意図しないところで収入が出るかもしれない。

それが仕事になるかもしれない。

そこで肝心なのは、その収入に目がくらみ、楽しくない事もしてしまう事だ。

そうすると良くない。

楽しさの延長ついでに収入があれば、臨時ボーナスとして、純粋に楽しめる。

そこだけ見誤らないようにして、仲間と楽しむ。

ただし、楽しくなくなったら、無理に続けない。

それは、人気者だった子供も一緒だ。

楽しくなくなったら、いつの間にかフェードアウトしている。

そして、また新しい遊びを作り楽しんでいたではないか。

それは、人気者が人気者たるゆえんのオーラだと思う。

そして、新しい遊びが生まれそうになると、また、仲間が人気者の周りに集まる。

そうやって、みんなで楽しむ。

そんな、理想像が現実に、お手本となる人物がいるのか?

僕は「所ジョージ」がその人だと思う。

楽しいことを楽しんでいたら、それが取材され、取り上げられ、雑貨を売ったり、DVDを出したりすることになっちゃった。

「所ジョージ」は好きな事をひたすらやっていて、好きではなくなったり、楽しくなくなるような収入には、自分の好きな事、楽しいことを結びつけない。これが重要。

また、所ジョージは、自ら始めた好きで楽しいことが、好きでなくなったり、楽しくなくなったり、飽きてしまったものは、サッさとやめてしまう。自分の「好き」に固執し過ぎない

固執すると好きでもないのにやることになる。やり続ける事になる。自分がやり始めた事だからと、変な責任を持つようになる。これでは、楽しくない。

始めるのも勝手なら、やめるのも勝手なのだ。

まさに、人気者の子どもと同じ理屈。

そうやって、好きで楽しいことをしていると仲間が集まり、収入や仕事が生まれる。

「好き」や「楽しい」が損なわれないというルールが大前提にある収入は、まさに、「好き」や「楽しい」を「仕事(収入)」にするということではないか!

似たような人に「ヒロミ」もいる。

結局、ヒロミの持つ多くの趣味の中でも、DIYは、番組の一部にもなっちゃった。

これも、好きが仕事になった例だ。

ヒロミの場合、スカイダイビングなど、多くの視聴者がハマれない趣味も多いから、テレビ局が、取捨選択をしただけだ。

本人は、DIYをテレビで取り上げてもらいたくて、DIYを始めたのではない。

所ジョージも、テレビで取り上げてもらいたいから、バイクや車をいじりはじめたのではない。

好きだからやっていた。

・・・・ただそれだけだ。

もっと言うなら、好きで楽しそうにやっていた!

楽しそうだから、仲間が増えた。

そして、そういう事をネタにして稼ぎたい誰かが近づいてきた。

そして、好きや楽しさが損なわれない収入だと判断したから、近づいてきた人に協力した。

結果、収入を生み、仕事となった。

これなんだと思う。

こういうことを書いている本はどこにもない

こういうものが書けるようになるまでに、いろいろ断片的なものをまとめていて、それらが、この考えを組み立てた「柱」になっていると思う。

断片的でまとまり感が無いのだが、それら「柱」のリンクを貼っておく。