失敗作をプレゼントするなんて、非常識ですか?

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ホッコリというか、安心というか・・・

この記事をお読みいただいて、僕があなたに感じていただきたいのは「こんないい加減なやつでも、生活していけるのね(笑)。」と、少しでも肩の力が抜けるような感覚です。

普通の人が思うこと

もし、オリジナルのTシャツを作ってプレゼントしたいと思ったとします。

一生懸命デザインを描き、シルクスクリーンやアイロンプリント詩を使って、オリジナルのTシャツが完成する寸前に、シミやかすれ、シワといった、どうにも納得のいかないTシャツが完成したとします。

普通の人は”失敗したプリントTシャツ”として、落胆したり、怒りを感じて、もう一度挑戦します。なぜなら、失敗作であり、そんなものをプレゼントできないからです。

2枚以上作ったら見えてくる感覚

失敗したので、もう一度チャレンジをして「成功」したとします。自分でも着たいから、もう一枚作って、これも成功しました。

この時点で、僕は、思います。

先程失敗したTシャツのほうが価値があるのではないか・・・と。

そう思う理由

「成功」のデザインは制作前から決まっていて、そのイメージをゴールとして、そこに近づけようとして一生懸命Tシャツを作ります。コツがつかめてくると、ほぼ「成功」Tシャツがドンドン生まれます。

これは、素晴らしいことだし、喜ばしいことです。

しかし、僕は、ここで、逆に考えてみたくなってしまうのです。

先程の失敗Tシャツを同じように作れと言われても出来ないのではないか?

そういう失敗は、予期せぬことが重なって起こった事であり、意図的には再現が難しいのです。しかし、成功パターンの完成品であれば、同じものがドンドン量産できます。

失敗作である、シミやかすれ、シワといった表現を同じように量産できないのであれば、むしろ、失敗作のほうが「貴重」ではないかと思ってしまうのです。

失敗作も「貴重」

シミやかすれ、シワといった失敗部分を再現できないのであれば、上手くいったTシャツより「貴重」だということを理解できれば、それを堂々とプレゼントできます。

だって、これこそ、唯一無二のオリジナルTシャツだからです。

あなたには、この理屈を理解頂けるでしょうか?

何枚もある完成品と1枚しかない失敗作。。。。

ものは考え方でいかようにでもなるものです。

少しだけ、型の力を抜いて、自分自身を許してあげましょう。

疲れ知らずの、失敗知らずの機械ではないのですから。

心を込めた失敗は、決して機械では作れません。

そういう失敗もコミコミであなたの時間としてTシャツには思いがこもっているのです。

・・・・オノマトペ。