読書は人を変えるか? 400冊目を読むころに、本嫌いの私に起きた変化。

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本嫌い

私は、「本なんて読んだって…なにも得しない!」という考えの人でした。

  • 本は、退屈
  • 本を読むのが遅いので時間がかかるから読みたくない
  • 本は、時間の無駄

私は、読書に関しては、こういう考えの持ち主でした。

鬱病発祥と読書

私は、40代後半に鬱病にかかりました。
頭の中で考えることばかりが多くなり、ヒマさえあれば、ロクなことを考えずにいました。

そういう時間を、もっと何か別のことで埋めた方が良いと判断した先輩が「1,000」という数字を目標にするようにと提案してくれました。なんでもいいから、1,000を達成する!
そこで、一番お金のかからない「読書」をすることにした次第です。

読書にはステージがある?

読書を始めた当初に比べ、明らかに早く本を読めるようになりました。
「読書」はこうあるべきというルールが崩れ去り、それからはバンバン本を読み進められるようになりました。

最近、次のステージに差し掛かっているのではないかと感じ始めています。

  • 早く読めない本が出てきた
  • 知っていることが多くなった

この2つがその理由です。

早く読めない本が出てきた

1日1冊読めるくらいにはなったのですが、最近、そのようにして読めない本が出てきました。余分なところを瞬時に見極め、重要なところだけを読み進める技術が身に付いてきているにもかかわらず、それが出来ない本に出合いました。

すべて大事なことが書かれているように思えてしまい、いらないところを飛ばし、読みながら要点をまとめ、読み進めることができないのです。
今までは、そういう読み方ができたのに、それができないということは、本のレベルが、私の読書レベルより高いということです。

この読めない本を次のステージと考え、このあたりのステージを簡単に読み込めるようになることが私の目標になるのかもしれません。なぜなら、簡単に読めてしまう本は、読んでいて面白くないのです。

もちろん、読み進めることが難解な本も、読んでいて面白くないのですが、そういう本は理解が進むと面白いものです。簡単に読めてしまう本は、深読みすれば面白さの再発見はあるかもしれませんが、よほど気に入った本であれば別ですが、やはり、再読というのはつまらないものです。

そういうことからすると、難解で読みにくい本をスラスラ読めるようになる方が楽しそうです。

知っていることが多くなった

本を読んでいて、「あ、これ知ってる!他の本にも書かれていた!」と感じることで、読み飛ばすことが多い本が増えてきました。
これはつまり、同じようなジャンルの本をある程度読みあさったので、重複する内容にたくさん遭遇するのではないかと思うのです。

そのように感じる本のジャンルは、そろそろ読むことから卒業しても良いのかもしれません。
もしくは、そうしたジャンルでも、私にとってもう少し、難しく、詳細で、専門的に、書かれた本に挑戦すべき時なのかもしれません。

だからといって、そういう本をどのように見つけて良いのかわかりません。
とりあえずは、興味のあるジャンルだけど、そのジャンルのなかでも難しそうな本…
ちょうど、今読んでいるような本をあえて手に取り、読みこなしていくということをやってみようと思います。

本嫌いの私の起きた変化

このような変化を感じ始めたのは、累計400冊目を読み始めたころです。
読書により、自分のレベルが上がるというのは、他の方々が言われているように、どうやら本当かもしれません。
私自身、読書を始める前は「読書は人を変える」とは、全く信じていませんでした。
だからこそ、この心境の変化に驚いています。

共感から予習へ

悩みが多かったころ、過去の人たちの悩みと解決について書かれた本を読むことで、「人間は、いつの時代も、同じ悩みを持っているものだなぁ」と共感し、そのことで、悩みを安心に変えていました。

ところが今は、「これから経験するであろうことを予習するために、本を読むのはどうだろうか」と考えられるようになりました。

そのためには、偉人の伝記や自伝といったものを読みたいと思うようになりました。

偉人が経験したトラブルや悩みを、本を読むことで疑似体験し予習しておけば、これから私が経験するであろうトラブルや悩みに対して、有利に働くのではないかと思っています。
そうした本への興味の変化も進化したところだと思います。