私の役割
会社などのホームページで言うところの「ミッション」ということになります。
最近、私のような生活・・・生活というよりは”暮らしぶり”を羨ましがられることが多くなりました。それは、大変うれしいことですし、励みにもなります。しかし、よくよくお話を聞いてみると、私より収入があることがほとんどです。
ただ、特に仕事に対して、楽しいことや好きなことだけをして暮らせているということが、特に若い年齢層には響くようです。稼ぐ金額よりは人生の充実に視点があるようです。
悩んだ人が読む本にかかれている事
人間関係を構築しつつ、仕事を充実させ、更には会社の中でのポジションや収入を上げていくという自己啓発本を読みあさると、資本主義の原理やその隙間をつく方法やら、若いうちはがむしゃらに働いて登りつめろだとか、はたまた、人生は長距離走だから、いろいろ経験しながら息切れしないように3番手くらいで先頭について行けとか(だからと言って手を抜けと言うのではない)・・・
何を信じていいのか分からくなってしまった若者が多くなってきていると感じています。
「お手本」がないジレンマ
私のような世代で、若者たちの「お手本」となるような人がいないから、本を読むこと「お手本」を探すのですが、その本ですら言っていることがバラバラなので、余計に混乱してしまうのだと思います。
本ではなく、こういう人物像になりたいというお手本が人間として存在すれば、こういう問題は解決します。そういうお手本が、私たちの世代にはいない事は、私も含め、反省すべき点です。
お手本といっても、いわゆる仕事のやり方とかではなく、人生の暮らしぶりのお手本といった方が良いかもしれません。
お金だけではなく、暮らしを充実させることが素晴らしい人生だとか言われます。
そうだとしても、そういう暮らしをする為には、お金を稼がなくてはいけません。ともすると、稼ぐことだけで時間が終わってしまい、暮らしを充実させる時間なんて残らないかもしれません。
とはいえ、少ない時間で高額の報酬を出してくれるような・・・自分のわがままだけを条件として付きつけて、雇ってくれるような会社は、今のところありません。
だから、そうした自己啓発本には、こうすればお金も稼げて暮らしも充実するというような、具体的な方法が載っていません。ヒントでも良いから、それを掴もうと思って本を購入するのですが、結局、突き動かされるようなことはありません。
そこに、タイトルだけで本を売るという商売のいやらしさと、それを購入して「解」を得ることができなかった若者たちの落胆が生まれてしまいます。
発展しているのに楽になれない矛盾
めざましく技術が発展して、機械やAIが人間の代わりに働いてくれる時代になりました。
しかし、一向に人間が「楽」になれないのは、何故なのでしょう?
なぜ、「楽」になれないものを、人間は一生懸命開発するのでしょう?
こうした矛盾を感じる暇もなく、ただただ、目の前の仕事をする。そして、それをやり切れば自分の夢が実現するかもしれないというニンジンを自らぶら下げて働き続ける・・・。
本当にそれでよいのだろうか・・・と、私は、思っています。
常識というものの不確実さと仲間意識
今、日常生活で言われている世の中の常識とは、普遍的な常識を指してはいません。今のご時世をスムーズに生きるために敷かれた道のことを「常識」として、私たちは表現しています。
時代や環境が変われば、今の常識は通用しなくなるにもかかわらず、その常識から外れることを怖がり、また、常識から外れようとする人を変わり者扱いする風潮があります。
変わり者扱いをする人間にも、実は、道を逸脱していく者たちへの「羨ましさ」があるのですが、どうしようもない環境でも生きていく仲間を一人でも減らしたくないので、変わり者扱いをすることで引き止めているのです。
少しだけ今の常識から抜け出して暮らせている
私は、今の常識から、変わり者扱いされても抜け出しました。そのうえで、完全とはいえないけれど、なんとか暮らせている私の生き方を、数名の若者は、羨ましいと感じているのだと思います。
生きていくためには「お金」は必要ですが、だからといって、お金を稼ぐ目的は、贅沢をしたいわけではありません。
必要な分を稼いだら、残りの時間を旅行や家族との時間にあてる暮らし・・・
そんな、当たり前のことを実現できない世の中のスパイラルに陥ってしまった若者が、私の暮らしぶりを羨ましがるのだと思います。
キッカケ程度の手本となり世間を変えることが役割
私の役割は、いわゆる世間の常識を逸脱しても・・・いや、逸脱することでお金と仕事と暮らしをバランスよく充実させ、生きることができるということを証明することです。
そうして、同じような暮らし方をする人間が増えた時、会社の採用基準というものが変わっていきます。それは、会社が人間の取扱い方を変えるということです。
この変化こそ、世間の常識が変わるということです。今まで通用していた常識が通用しなくなる世間が生まれるということです。
個々人が繋がり、お互いが必要な部分を補い合い、時間と環境を自由に選び繋がり続けることで、仕事やお金に縛られ過ぎない生活環境が生まれるということです。
今の世間の常識に満足と納得がいっていないからこそ、私の暮らしぶりを羨ましいと言う若者が存在するのです。きっと、その若者たちも、私のようになりたいのだと思います。そういう環境を自分のまわりにも作りたいのだと思います。
そのお手本となることが、私の役割ではないかと思います。
今後は出てくるかもしれませんが、今、そんな「お手本」はどこにもありません。
けれど、今、そういう暮らしが少しだけできている私は、少しだけなら、お手本になれると思います。私の考え方や行動をブログに公開することで、私と同じように暮らせる若者が増えるのであれば、嬉しい限りです。
私はどうしてこれを選ぶのかということが、この暮らしにつながっていることだと思うので、そういう日常生活で考えることや感じる事、くだらないことも含め公開したいと思います。
そこから良い部分だけを真似することで、ほんの少しだけ、あなたの環境が開けていってくれれば、とても嬉しいです。
常識を変える
私のような暮らしに影響された若者が、さらにそういう暮らしを実践し、友達に拡散することで、世間の常識が変わっていくと思います。
そういう暮らしぶりがスタンダードになれば、この先の「人間」の暮らしぶりを変える事になります。
”そのキッカケとなれば” という思いで、そういう暮らしを押し通そうとしています。
そういう暮らしを押し通すために、どういう仕事を選んだのか、どのように交渉したのか、どこで妥協したのかなどは、参考にしていただけたらと思います。
私は特別でも何でもなく、こらえ性の無い人間です。だから、我慢ができない。
自分が楽しい人生を送りたいということを前面に押し出してしまう。そして、そういう環境を得るために、わがままを言ってしまう・・・そんな人間です。
それが良かったのかもしれません。
何分、私自身にも「お手本」がない環境なので、これをやれば大丈夫と言った記事を書くことは出来ませんが、このブログを通して「あぁ、そういう風にしていれば、会社に縛られない、お金に縛られない暮らしができるのかもね。」といった部分を感じ取っていただけると嬉しいです。
私の友達
私の友達(ひとまわりも下ですが)、私(?)の暮らしぶりに触発されて、太陽光発電を2基も購入した人物がいます。マンションなどを購入せず、何千万円もの投資です。
その後輩は、貯金があったわけでもありませんが、創意工夫を自分の暮らしの中で見出し、実行・実現をしました。
私なんかは、それをとても羨ましく思います。私にはできないですから。
しかし、私とその友達に共通しているのは、会社に縛られていない生活を確保しているということです。厳密に言えば、会社に縛られていない生活を半分確保しているという表現の方が正しいと思いますが、それを完全に確保するまでチャレンジします。
それをお手本とは言わないまでも、これをお読みいただいた皆様に、勇気ややる気として影響を与えることができれば、大変うれしく思います。