『私の右足』はいつ洗われるのか?
お風呂に浸かり、ほどなく体が温まると、体を洗うために湯舟から出ます。
そして、少し冷たいプラスチックの椅子に座ります。
ゴシゴシとボディソープを付けたスポンジで、全身を洗い終えた時に気がつきました。
『あれ?いつも右足が最後だな・・・。』
みなさまは、いかがでしょうか?
私は、昨日や一昨日のことを思い返してみました。
けれども、やはり、右足が最後でした。
最後は、右足の甲と裏を洗い、指の間・・・といった具合で、全身を洗い終えます。
どのパーツも公平に洗いたいけれど・・・
どうして、こんなことに気がついたのかといえば、理由は、スポンジに泡立てた”ボディソープの泡の鮮度”にありました。
スポンジで泡立てた新鮮なボディソープの泡で洗いはじめるのですが、右足の指の間を洗うころには、泡は汚れてしまいます。
途中で、再度、ボディソープを足してスポンジを泡立てますが、それは汚れた泡と新鮮な泡の混合となります。
”右足の指の間は、そんな泡で洗われて、いつもつまらない思いをしているのではないか?”
と、感じたことが、この何とも、どうでもよい妄想に憑りつかれてしまったキッカケです。
どのパーツが一番頑張っているのか?
日常の生活を思い返してみますと、私の生活は、右足にかなり助けられています。
- ドアを閉まらないようにするために止めておく右足
- ボールを蹴るときの右足
- 板を切る時に押さえる右足(怪我の多いのも右足)
右足は、左足より、かなり、嫌な思いをしていると思います。
そう考えだしてしまうと、最後に洗うのは左足の指の間にしようかという思いが浮かんできました。
『いや、待てよ、何もしていないのに新鮮な泡の恩恵を得ているパーツが他にあるはず!』
そう思った私は、洗いだしの胸やお腹の辺りから、一通り、頭の中で身体を洗ってみました。
『右手もかなり嫌な作業をしているし、顔だっていつも外気にさらされているし・・・。』
その時、どこも大事なパーツだということを私は理解しました。
習慣に流されない
けれども、習慣で右足の指の間だけが年中最後に洗うことになってしまうのは可哀そうです。
だからといって、常に新鮮な泡を作って洗うことは経済的にはナンセンスです。
最終的には、汚れた泡で洗われるパーツを日ごと変えることにしようと思いました。
これなら公平です。
もちろん、新鮮な泡で洗われるパーツは、今日一番頑張ったパーツとなります。
”頑張らなかったパーツ”が汚れた泡というわけではありませんが、やはり、”頑張ったパーツ”から、ねぎらいの意を込めて洗いだすのが良いという考えに至りました。
どのパーツも大切!
『頑張らなかったパーツ?』
けれども、そんなパーツは無いということにも気がつきました。
どのパーツもみな頑張って支え合っています。
それでも”今日は特にお世話になった”と感じたパーツから”最初に洗おう!”と思いました。