漠然とした苛立ちや不安が沸く原因と対策
何もすることがないことからくるストレス
とにかく暇。
何かやろうにも気力が沸かない。けれども、何かしないといけないと漠然と思っている。こんな葛藤から苛立つ場合もあれば、会社でやることがなく、ただただ定時を待つということも、暇すぎてストレスになります。
こういう時は、やらないことをやる!というくらいで良いと思います。
運命とは大げさですが、そういうことを求められていると解釈します。そうやって落ち着きながら、細かなことを書きだしていきます。
仕事中に不謹慎ですが、帰ったら玄関の靴を揃えて並べようとか、机の上だけでも整理しようとか、ほんの小さなことでも書き出してリストを作ります。
紙の切れ端でも何でも良いので、書き出すことが重要です。そして、実行したら、それを二重線で消します。
やれないことがあっても、そもそも暇すぎて思いついたことなので、やらなかったとしてもストレスを感じる必要はないのです。けれども、二重線で消す行為は、なかなかスカッとさせてくれます。
試しにやってみてください。それ専用の小さなノートを持っても良いと思います。
やることがあることからのストレス
仕事よりも休日にやっておきたいことというのは、趣味も含めたくさんあると思います。
けれども、前日に飲みすぎてしまうとか、仕事で遅くなってしまうとかで、どうしても寝ていたいとズルズル朝を過ごしてしまい、気がつくとお昼前ということはよくあります。
やることがあるからストレスを連れてくる場合もあります。
そんなやりたいことは、結果として以下の3つのパターンに分かれ、それぞれのストレスを連れてきます。
やることを”やれた”という結果の場合
休日にシャキッと起きようが、ズルズルしていようが、やりたいことは出来たというパターンでは、もう少し早く起きていれば、もっとできたのにというストレスは残るかもしれませんが、まぁ、満足度の高い休日を過ごせたのではないかと思います。
ストレスもほとんどないと思います。
やることを”やれなかった”という結果の場合
きっとやりたくなかった理由もあると思いますが、とはいえ、やらなかった(やれなかった)自分自身に対してストレスが溜まります。時間的な理由ではなく、気分的な理由でやらない(やれない)ということがあるものです。
こういう日は、ただただ、時間だけが過ぎる・・・もしくは、時間が過ぎるのを待つといった過ごし方になってしまい、だったら、他にやれることがあったのではないかという後悔も一緒に連れてきます。
こういうストレスが溜まり続けると、全ては自分の気持ちひとつが作り出した状況だけに悶々としてきます。うつに近いモヤッとした、イラっとするような、変な気持ちになります。
その気持ちへの対処方法は2つの場合に分かれます。
やれなかったという結果に対処する①:代わりに他のことができたと考える
やれなかったというか、自分の気持ちひとつが招いたストレスでも、こう考えることが重要です。仮に、何もしなかった休日であったとしても、このように考えると良いです。
”私は、ボーっとしたかったんだ。”
これが、何日も続いても、このように考えます。
つまり、休日にしたいこと以上に、私の体はボーっとすることを求めていて、それが最優先であるために、そのように過ごしたと考えます。
何よりもしなければいけないことをしたのだから、何よりも充実した休日を過ごしたのです。それも、自分の体のために最優先で行ったのです。それは、どんなことよりも素晴らしいことです。
やれなかったという結果に対処する②:まぁいっか
やることを思いついた時点で”まいっか、やらなくても。”というほうがストレスは少ないと思います。けれども、真面目なあなたは、一度やろうと思いつき、決めた時点で、それはやらなければいけないことになってしまいます。私もそうです。
そうやって、自分自身で決定したことをやらないと、ものすごいストレスになります。
自分で決めてやらなければいけないことよりも優先されること・・・身体の欲求であるボーっとすることなど・・・すらもやらず、とにかく時間を無駄にしたと後悔しそうになった時は、
「まぁ、いっか。」・・・と、つぶやいてしまいましょう。
つまり、自分でやると決めたことだったけれど、行動に移すほど重要ではなかったと思えばいいのです。本当に重要なら、嫌でも文句を言いながらでも、時間がかかっても、あなたなら少しずつやります。
・・・それすらをしなかった。
ということは、やるべきことではないことを一所懸命やろうとしていたということだったのです。それを自分という人間は知っていて、やらなかったのです。
まさに「まぁ、いっか。」というレベルのことだったのです。
気にすることはありません。
全ての感情や念を受け流すことが最強
それができれば、苦労はないと言われそうです。
けれども、こういう考え方もあるのだというヒントになれば良いと思います。
また、これは私自身への健忘録として書いておきます。
まるで川を眺めるかのように
後悔やストレスになる考えは、次から次と沸いてきます。
そうしたストレスは頭の中で起きていることで、実際に起きていることではありません。
もしかすると、この先、実際に起きるかもしれません。
けれども「今」起きていないことは、すべて頭の中で考えていることです。
頭の中には本当に次から次へと考えが浮かんできます。
- ストレスの原因となっているかもしれない物事
- 今日の夕食の献立
- 隣近所との付き合い
- 仕事のこと
- 旅行のこと
- 待ち合わせ場所のこと
など、実にいろいろなことが浮かんでは消えています。
思いとどめてしまうから考えが膨らみ枝葉もつけて育ってくる
沸きあがる考えを「川の流れ」と見立ててみます。
どんどん、どんどん・・・流れてくる多くの考え。
これをただただ眺めているだけなら良いのですが、一つの考えに注意が向き、そこに手を伸ばしたとします。
まさに、棒をつかって川からその考えだけを引き寄せるかのように。
そうした途端、棒にはまったく関係のないものまでが絡みついてきて、どんどん絡みついたものが大きくなってきます。
気に止まり、たった一つの不安やストレスを解決したいがために伸ばした手(棒)なのに、どんどん関係のないことまでがその手(棒)に絡みつき、不安やストレスも大きくなってきます。
『あれをすれば、こうなる。こうなることはいやだけど、やらないと進めない・・・。どうしよう・・・。』といった具合に、解決の糸口を見つけるどころか、逆に疲弊してしまいます。
しかし、よく考えてみれば、そもそも、全ては頭の中のことです。
ひとつの考えを引き寄せたり、手に取ったりして、留めようとするから、それをきっかけに考えがどんどん大きくなってしまいます。
だからこそ、気になっても、すべてを受け流す。
厳密には”受け”もせず、沸きあがったストレスや心配事などは、すべてを眺めて(傍観して)流していれば良いのです。それらは川に流されていくように、そのうちに見えなくなって消えてしまいます。
このことを意識すると、大抵の心の囚われから解放されるような気がします。
習慣づけたいものです。