どうしたら人の言葉・人を信じれるのか?不毛の自問自答の末に見えた答えとは?

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■ 人の返事(言葉)を信じられない

僕が、「あなたはカレーが好きですか?」と質問したとして

「はい、好きです。」

と答えが返ってきたとします。

僕は、「はい、好きです。」が信じられないでいました。

ああいう風に答えているけれど、本当は嫌いなのかもしれない。

だったら、なぜ好きと答えたのか?

”今度一緒にカレーを食べよう!”

と誘われない距離感に僕の存在があり、カレーを好きだと答えても

あとあと面倒ではないから、そう答えたのか?

そんなに親しくないから、社交辞令か?

こんな風に、どうしても、素直に相手の言葉を聞き入れ、信じること

ができない。

直接、本人に

「それ、社交辞令だよね?」

とも聞けないし・・・

もし、本当に

「それ、社交辞令だよね?」

と尋ねたとして

「いえ、本当に好きです。」

と答えが返ってきても、それも社交辞令かも?と思ってしまう。

もし、本当に

「それ、社交辞令だよね?」

と尋ねたとして

「はい、社交辞令です。」

と答えが返ってきても、

本当はカレーが好きだけれど、もう面倒くさいから・・・

「はい、はい。」

と答えておけばいいと考えて

「はい、社交辞令です。」

と言ったのかもしれない。

そうなると、実はカレーが好きということになり、

じゃあ、なぜ、僕に社交辞令なんて言ったのだろう?

・・・と、どんどん枝分かれの想像が進みエンドレスに。

想像は想像でしかない。実際に尋ねて、返ってくる答えは現実だ!

現実が欲しくて、仮に本当に尋ねたとしても・・・

本人から返ってきた答えを信じる事が出来ず、疑いの想像をしてしまう。

■ 本当に自分が嫌になる

そんな時期が続いて、本当に自分が面倒臭く、嫌になりました。

考えても考えても、本当に尋ねても・・・

相手の言葉を自分が信じるに値する理由・・・というか、

自分の心が腑に落ちる・・・というか、

あーそれなら相手を信じて見よう!

という現象というか自分なりの定義というか・・・

こうなったら相手を信じても良いという「自分の軸」がみつからなかった。

たとえば、咄嗟に尋ねれば、いろいろ考える暇はないから本心が聞ける

はずだと思っても、咄嗟ゆえに適当に応えたかもしれない・・・とか。

相手の表情を心理学的に読み解いて、その言葉が本心かどうかを疑ったり。

そうしだとしても、相手も心理学を学んでいたら?それも無意味・・・。

どんなイントネーションでどんな表情で答えた言葉が本心なのか?

それを定義する事に夢中になったけれど、見つかるわけもない。

なぜなら、答えが見つかったとしても、もし、相手がそういう事を知っていて

そういうイントネーションと表情で答えていたら?と考えると、途端に

その定義が崩れてしまうわけです。

■ 発想の転換

もう気が狂いそうなくらい悶々とした日々が続き・・・

ある時、自分に「カレーは好きか?」と質問をしてみた。

「好き。」

という自分がそこにいました。

もう一人の自分が

「どうして好き?本当に好き?」

と尋ねると

「好き、本当に好き。」

と答える自分。

もう一人の自分が

「理由は?好きの理由は?」

と尋ねてくる。

「おいしいから。」

と答える自分。

もう一人の自分が

「その気持ちはどこから出てくるの?」

と尋ねる。

「・・・・・。」

眉間のところ?

胸の中心?

心臓あたり?

好きだという気持ちが、どこから出てきたものかわからない。

口先だけで答えたつもりはなく、確かに好きだから好きと答えたのだけれど、

どこから声にして発しているのか?

・・・わからない。

頭の中からのような気もするが、特定できない。

心がどこにあるかもわからないけれど、胸の中心から発したほど重くもない。

けれど、好きは好き!

理由を聞かれても、それがうまく答えられなくても、好きは好き。

・・・・悶々と自問自答。

結局のところ、自分でも自分の好きに対して、発した気持ちの所在地を突き

止める事が出来なかった。

自分の好きという気持ちに、なぜ好きか?という説明が出来なかった。

好きは好き!それだけだった。

自分ですら、問い詰めると、好きは好き!それだけ!

という答えしか出ない。

自分の言葉ですらそうなのに、他人の言葉なんて・・・・。

他人が、好き!と言っているのだから、その人も好きは好き!なんだ。

・・・それだけ!なんだ。

もちろん、嘘もあると思うけれど、それを暴こうとすると不毛に至る。

ならば、そう答えているのだから、そうなんだろうと信じればよい。

好きは好き!それだけ!

僕は、それを信じる。

いろいろ疑って不毛な思考回路に陥って神経すり減らすより、信じる方が楽だ。

信じられなくても、相手がそう言っているのだから信じる。

その方が楽だし、そうしようと思うようになりました。

これで、不毛な思考回路に陥って神経がすり減らずにすみます。

でも、すぐには身に付きませんでしたし、全面的に信じることに違和感があります。

少し疑っている気持ちがあるのに信じようとするのだから当然です。

でも、不毛な思考回路に陥って神経をすり減らすのは、もう嫌です。

とはいえ、今でもこの悪い癖は出てきます。

そういう時のために、この記事をまとめておこうと思いました。

■ 副産物

会話の中で、ちょっとした間や表情、言葉選びから、その人が本心なのか

あまりそうではないのかを、かなりの確率で見抜けるようになりました。

また、そうした所から、その人の性格を予想する事が出来るようになりました。

たぶん、そうした予想は皆がしている事です。

でも、皆さんより、ほんの少しだけこの感覚は秀でていると自負しています。

この感覚は、主に危険回避や危険防御に役立っているような気がします。

ここだけは、不毛の思考回路から得られた唯一の副産物でした。

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