自分の嫌な所を「強み」として発揮できるように考えた結果・・・。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

考えすぎるという癖

あの時のああいう表情とあの返事・・・。

あれはきっとこうかもしれない。もしそうなら本心はこうかもしれない。

本心はそうなのに、どうしてあんな風に答えたのか?

相手の本心は、そもそも今自分が想像しているものと同じなのか?

一方、自分の本心はどうなのか?

本心って、どういう気持ちが伴ってこそ「本心」だと言える感情になるのか?

こんな風に次から次へ妄想する。

ネガティブなことも多いが、ポジティブなこともいろいろ妄想する。

ネガティブとかポジティブとかの分別は置いておくとして、

僕はとにかく、ああいう表情なら、きっと本心はあんな風だとか、こんな風だとかを推測することが多い。

人は、そんな僕を見て”考えすぎだ”という。

そういうアドバイスをくれる知人は、そこまでいろいろ深く考えないらしい。

そんな風に考えることは面倒くさいし意味のないことだと思っているようだ。

考えすぎることが意味のあることなのか、ない事なのかについては言及しない。

とにかく、他人にとって、僕のこういう思考は「考えすぎ」と分類されることは事実だ。

発想の転換

この「考えすぎる」というものは、僕の「強み」だ。

今まで気が付かなかった。

いろいろ考えてしまう性分が面倒くさくて、僕自身も嫌だと思っていたほどだから、これが「強み」になると思いついた時は、目から鱗だった。

考えすぎる性分を”対人関係”に向けてしまうから、自分でも嫌になってしまうのだ。

考えても考えても考えすぎることはない方向に向けたらどうか?

  • 本来はこういうことを考えているのではないか?
  • 本当はこうしたいのではないか?

こういうことを「仕事そのもの」や「仕事に関わる人の仕事心理だけ」に向けたらどうか?

そうしたら、発生しうるネガティブやポジティブな現象を、持ち前の”考えすぎる”性分で推測ができるし、その中から、ネガティブな要因だけを洗い出し、あらかじめそれらを避けるプランを立てられるのではないか?

考えすぎる性分を”仕事”に向けることで、仕事上のリスクを避けたプランニングが行えるようになる。これは、とても良い事だ。

今まで「考えすぎる」ということを嫌なものだと思っていた。

しかし、考える方向性(対象)を変えることで、世界が一変する。

他の人が面倒で考えもしないところまで、僕は考えすぎる性分のお陰で考えることができる。

それが、仕事の成功率を上げるということに繋がるのであれば、これは考えすぎる性分の僕だからできる事だ。

方向性(対象)を変えるということで、それが僕だからできる「強み」に変わった。

今回の経験は、他にも応用していこうと思う。

だって、まだまだ、自分の変な癖や嫌な癖はあるのだから(笑)。

考えすぎる事を止めるためのサイトなんかも発見しましたが、これができないから苦労するということを判っていない。

「ちょっと考えすぎじゃない?」なんて、友だちやパートナーから言われたことはありませんか。考えることと、悩むことは違います。心理学の教授Kelly Neff氏が、効率的で幸せになるために「考えすぎる癖をなくす8つの方法」を紹介しています。

だから、今回のように発想の転換を行い、視点の対象・方向性を変えるのだ。

つまり、何が言いたいのか?

僕の場合、考え癖が精神的な病を引き起こすほどであった。

そこまですごく深く考えてしまうのだ。

病気になるほど考えるということを、他の人はあまりやらない。

僕は、他の人より、良かれ悪しかれ、考えるという行為を長く深く出来る人間のようです。

それは、他の人よりも抜きに出ているということです。

この抜きに出ている部分を他で使用したらいいんだよ!そう言いたいのだと思います。

例えば、五寸釘をとうふに打ちつけても釘の役割は果たせない。

材木と材木をつなげるために使うことで釘本来の役目を果たすことができる。

・・・・こういうことなのです。

自分の持っているものを、適所に使うことで有効的な効力を発揮する。

考えすぎる癖は嫌だ!癖を無くしたい!と考えるのではなく、そうした自分の性分を生かせる場所を探し、その場所で使う事が大切ではないかと思うのです。