本は教科書ではないということ
私のような「詰め込み勉強」で育った世代は、本は教科書というイメージを持っているかもしれません。
本を書くような人は、とても頭が良くて偉い人。
そういう人の本は、書いてあることはすべて本当のことで、知りたいことに対しての答えが記載されている… 私は、そう思っていました。
だから、どんな本でも著者を先生のように思い、自分と意見が違う内容に遭遇しても、そういう考え方の裏にはきっと、偉い教えがあるものだと信じていました。
つい最近ですが、ようやく、こんなバカみたいな妄想から抜け出すことが出来ました。
ようやくこのことに気が付きました。
本はビジネス。
人気のタレントが世間に飽きられるまでいろいろな番組に出演させられ、視聴者が飽きたところでポイと捨てる… 本もそれに似たようなところがあると思います。
売れそうな内容、売れてる芸能人… 売れれば、だれでも本を出版できる。
そんな感覚で出版される本を、教科書のように信用して、人生の岐路を決めるんだと意気込んで読むとバカを見るような気がしてきました。
最近の本の読み方
ここ最近、こんな読み方をしています。
昔、売れた小説を買ってきて、どうして多くの人に読まれたのだろうと考えながら読むということをしています。
本はビジネスなので、売れる本は、売れる内容であることはもちろんですが、内容以外に何か理由があるのではないかと考えて読んでいます。
シドニィ シェルダン。
私の大学生時代は、村上春樹かシドニィ シェルダンでした。
とにかく、オシャレな本を読むとなれば、この著者が出てきていました。
今さらながら、読んでみようと上下巻を購入してきて読み始めたら… 止まらない!
300ページ以上あるけれど、ギュっとしたら100ぺージほどにあるというボリューム感は否めないけれど、あの大胆な行間も「楽しさ」を演出しているのではないかと思うのです。
登場人物のセリフは、人物構成がしっかりしていて誰が話しているセリフなのかすぐにわかります。頭の中で登場人物が映像化され、大胆に飛躍するストーリーでも、頭の中の映像がしっかりつないでくれます。
これが、ベストセラーたる所以か…
と、そんな読み方をしています。
電子書籍ではダメな理由
本は、電子書籍ではその醍醐味を半減させます。
ページの厚みを感じながら指でつまみ、1ページをショワッとめくる。
めくる動作と耳に入る音、新しく開かれたページから飛び込んでくる活字… その瞬間、また1ページ進んだという充実感・満足感を得る。
これは、電子書籍では体験できません。
開いた本の左右の厚さが、だんだんバランスが取れ、そのうちに読み終えたページの厚さが増してくる。
『よし、あともう少しで読み終えるぞ!』
そんなふうなことも電子書籍では体験できない。
電子書籍は、雑誌やパンフレットのようにサッと見るだけのものには合っているけれど、いわゆる読み物には不向きだと思います。
読み込んでいるうちにヨレていく本の感じ、積んでおくとちょっと嬉しい感じも電子書籍には演出できない。
とりとめのないことをつらつらと書いてみましたが、やはり売れる書籍にはそうしたものすべてを統括したテンポというものが良いのかもしれません。
ここでページをめくったらきっと気持ちい!
そんなところまで計算されているのかもしれませんね。