なぜだか急に昔のことが、頭の中に思い浮かぶことありますか?
私、今日、それでした。
幼少期の記憶
小学校一年生
子ども時代、体が大きかった私は、威張らなくても「番長」のような…
クラスでも、ちょっとはれ物にでも触るような存在でした。
みなが気を使って、接してくれているような感じでした。
嫌いな給食メニュー
急に思い出したのは、学校給食の好き嫌いのことです。
私は、クリームシチューのようなものに入っている皮だけの四角いワンタンが大嫌いでした。
今でも思い出すのは、それを見つからないように床に落とし、上履きで跡形もなくすりつぶすようにして、何とか食べないようにしている光景です。
先生に見つかっても、落としてしまったと言えば、その分は食べずに済むので、とにかく周りに気付かれないよう床に落としていました。
もう一品は、豚肉の脂身でした。
これを口に入れただけで嗚咽しそうになっていました。
これは、床ですりつぶせないので、噛まずに口に入れたら飲み込んでいました。
普通、好き嫌いのある子はいじめられる
給食が終わると昼休みの時間となり、みんなで遊ぶのが楽しみでした。
けれども、ある日、嫌いな食べ物が出たとき、食べ終えるまで遊んではいけないと、教室にポツンと残された時がありました。
ゆっくり、ゆっくり、ゆっくり…
昼休みは終わり、次の授業に差し掛かるときにも、食べていました。
こういうことをみなの前でやらされると、ウィークポイントをみんなに知らされるようなもので「いじめ」の対象となってもおかしくはありません。
ところが、私の記憶だといじめられたような記憶は一切ありません。
あいかわらず「番長」待遇でした。
嫌いなものは嫌いなまま
小学校1年以降は、四角いワンタンの皮と豚肉の脂身が嫌いという記憶はありません。
一人でポツンと食べさせられた給食以降、克服したという記憶もありません。
私は体が大きく番長風だったので、それを利用して、給食には私の嫌いなものを入れるなと凄みを利かせて給食当番に耳打ちすれば、嫌いなものは入らないはずですが、そんな記憶もありません。
けれども、1年生以降の嫌いな食べ物を克服したという記憶が存在しません。
みんなの優しさではなかったのか?
これまでのことを総合的に考えると、私ははれ物に触るような存在ではなく、みんなに愛されていたのではないかと46年も経って気が付きました。
私の推測は、私が嫌いなものをみんなが知っていてくれて、あの一人で給食を食べていた時以来、私の嫌いなものを私に気付かれることなく、入れないようにしてくれていたのではないかということです。
そう考えないと、苦手な食べ物を克服したという記憶もないのに、あれ以降、平穏無事で過ごせるわけが無いのです。
きっと、何度も四角いワンタンと豚肉の脂身は給食のメニューで登場したに違いありません。
その度にクラスメイトは、先生に見つからないように協力して、私に嫌いな食べ物を入れないようにしてくれていたはずなのです。
これを知ったとき、大きな感謝が生まれました。
今の自分に何ができるのか
あの時のクラスメイトに、私は「ありがとう」と言いたい。
あわせて、今まで気が付かずに、何もお礼も言えずに、何も恩返しができずに申し訳ございませんでしたと言いたい。
それくらいしか、出来ることはないけれど、気が付けて本当に良かったと思っています。
なぜなら、物事を見る角度が1つ増えたから。少し、優しい気持ちが増えたから。
みなさんも、急に思い出す昔の光景があるのでしたら、もしかすると、このような気付きを得られるチャンスかもしれません。
どうぞ、そんな気付きのシグナルを見落とさないように過ごしましょう。