幸せの価値観は人それぞれ。他人が言うことではないと気が付いた件。

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幸せの価値観

著名人・有名人をテレビで見ていて

テレビを見ていて、著名でたくさん稼いでいる方の病気報道を目にすると、いつもこんな思いが頭の中に浮かびます。テレビでは、ものすごく広いリビングが映し出され、素敵な部屋でくつろぐ有名人(病気になる前の)が楽しそうに笑っています。

一通りそんな光景を見終えると…

”あんなに贅沢な部屋!
人間死んだら何も持っていけないのに…
やっとゆっくりできるという時に病気なんて…
人生というのはちゃんとバランスが取れているんだなぁ。”

そんな風に思ってしまいます。

著名人・有名人に対して思うこと

先ほどのように感じてしまうのは、著名人・有名人に対しての私のひがみではありません。

あの環境を手に入れるまでに大変な苦労をしてきたのに、ようやくその環境でゆっくりしようと思ったら病気になってしまうなんて、なんとも皮肉な感じがしてしまうのです。

けれども、それは少し違うのではないかと、ふと思いついたのです。

あの贅沢な空間を手に入れるために一切合切を我慢してきているのならまだしも、きっとそうではなく、その時々に本人が楽しく過ごせる空間が欲しいと思って購入したのなら、病気になる前にだって十分その環境を楽しんできたはずだということです。

本人だって、死んだら持っていけるものなんてなにもないことは知っているはずです。
だから、何もかも我慢して手に入れてきたとは思えないのです。

手に入れられるときに手に入れて、十分楽しむ。
それができているのだと思います。

もちろん、その空間が欲しくて頑張った事実はあると思います。
ただ、病気になったとはいえ、十分に”元”を取っていると思います。

私は、人生を楽しむためのものをそうした環境や空間を整えることには求めません。
それがあっても幸せだとも思いません。
まして、そういう環境を手に入れるために努力をすることもありません。

そんなものが無くても幸せなのです。

つまり、何が幸せかということは、人それぞれなのです。
要は、それぞれに幸せの価値があるということ。

ということは、そうした贅沢な空間を見て、死んだら何も持っていけないのに、あんなに贅沢して!なんて、私が言うことではないということです。

幸せは、人それぞれの価値観です。
お金をかけすぎだとか、もっとお金をかけろだとか、大きなお世話なのだと気が付きました。