出来ないものは、出来ない。ただそれだけのことだと考えてみる。

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文房具のハサミは曲線直線を切ることに便利。

でも直線なら、カッターの方が何枚も同時に一気にスパッと切れる。

ハサミを使っていて、

「おい、ハサミ、どうしてスパッとカッターのように切れないんだ?

もっと、切れるようになれよっ!」

と、イラついている人はいない。

そういう時は、ハサミをカッターに持ち替えるだけだ。

人に対しても同じ。

「どうして、できないんだっ?!」

と、イラついてみても仕方がない。できないんだから。

それができる人にお願いをすればよい。

できないことに対して、できるようにする努力をしているかどうかを

見てしまうから、イラつくのだと思う。

政治もそうかもしれない。

選挙に行って、自分の意思を政治に反映してくれる政党を選ぶことで

徐々に世の中が変わるのだから、選挙は大切だと言うけれど・・・

結局は多数決の民主主義だから可能性は低い。

そこへもってきて、お隣でミサイルが発射されていても、辞任をする

という政治家やハワイで重婚、新幹線で手をつないで居眠り・・・

ここに夢や希望を見出すことの方が難しい。

ただ、どうしてこうなんだ!とイラついても仕方がない。

日本の政治とはそういうものなのだ。

ハサミにカッターになれ!といっても無理なように、政治家に日本を

託しても無理なのかもしれない。

カッターに持ち替えるように、何か違う仕組みでよくしていくような

変換期に来ているのかもしれない。

・・・オノマトペ。