仕事と恐怖の無限スパイラルからの脱出方法は一つしかないという事に気がついた朝。(健忘録)

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

認められたいから腹が立っていた

最近の事を思い返してみると、何だかイライラ、原因は会社の事なんだけど・・・

なんていう事はありませんか?

でも、会社の不平不満を言ったところで、何も変わるわけでもなく、個人攻撃しても今後の

居心地が悪くなるだけで、何の解決にもならない。

そんな風に、悶々としたことありませんか?

これ、認めてほしいという自分の気持ちが、そういう不満として噴出したんだと思います。

一生懸命頑張ったのに、もっとできたはずだと過小評価されたり、頑張った事にすら上司の

目が行き届いていない。

「よくやったね!」の一言があれば、こんなにイライラしなかったのではないでしょうか?

いかがですか?

認められたいという感情が、認められてないという現状によって、感情の変化が起こりイラ

イラが噴き出てしまったということに気がついたと思います。

もっと認めてほしいと訴えるのも大人げないので、もっと認められるだけの成果や頑張りを

見せようとすることは危険な行為です。

なぜなら、サラリーマンの多くは恐怖という感情から会社に行っているからです。

もし、会社に行かなければ、会社を首にさせられるかもしれない。

そうなれば、生活するためのお金が得られない。だから、会社に行く。

これは、その恐怖をかき消すために会社に行っているだけなのです。

恐怖という感情がベースにあり、会社で仕事をしているわけです。

その会社で、認められないからイライラして、もっと認められるように頑張ってしまうとい

う行為は、ますます、会社に依存する方向性を持たせてしまいます。

認められなければ、クビになってしまうから、頑張るしかないわけです。

しかし、認められなくてもいいやと頑張らなければクビになってしまう。

クビにならないように上司に頑張りを見せる。

こういう感情そのものが、仕事という性質をゆがめてしまっています。

仕事はクビにならないためにするものなのでしょうか?

僕は、止めました。そういう考え。

いいんです、頑張っても認められない・・・いや、その程度は頑張りだとは言わないから、

褒めてくれない、認めてくれないのかもしれない・・・それは、僕のスキルだから、徐々に

磨くしかない。

いずれにしても、自分を評価するのは評価する人が勝手に決めればいい。

しかし、僕は僕の今持てる最高のパフォーマンスで仕事をする。

その評価が良くても悪くても、クビになっても関係ない。

そうした会社からの評価、その評価によるその先の不安を抱えて仕事はしたくない。

恐怖というものがベースにあって仕事はしないという事です。

昔から、僕はお金を人質にとられているという表現を良くしていましたが、この意味がよう

やく解りました。

つまりは、お金=生活であり、この先の安定した生活を会社に人質に取られるという事は、

会社の気持ち次第で僕の生活が浮き沈みするという事です。それは、恐怖そのもの。

どこに行ってもその恐怖は、会社に所属する限り続くので、恐怖のない会社を探すのは不可

能です。そういう意味からも、恐怖を帳消しするために会社で仕事を頑張るということをす

ることはやめた方がいい。

クビになるならなればいい。ただそれだけ。ただそれだけでいいのだ。

そこから、今の会社と仕事と恐怖からのスパイラルから抜け出し、新しい何かが始まるのだ。

・・・・オノマトペ。