首里城が燃えてしまった
私はきっと沖縄を再訪して、再建された首里城で記念写真を撮りたいと思います。
今朝、奥さんの友達から「首里城ショック!」というメールが届きました。
何のことかわからず、ネットで「首里城」と検索すると、首里城が燃えていました。
2019年10月23日から私たちは沖縄を訪れてました。
そして、ちょうど一週間前の24日には首里城を観光していました。
首里城では、無料ガイドツアーに参加し、ガイドさんに首里城を案内してもらいました。
その首里城が・・・ほぼ全焼・・・。私は言葉を失いました。
首里城炎上で無くなってしまったもの
損失は建築物だけではありません。
今後、首里城を訪れる人の心に残ったであろう思い出も焼失させてしまいました。
このことは、私とのご縁も焼失してしまったかもしれないのです。
たとえば・・・
もしかすると、私と”首里城の話”で盛り上がる人物がこの先いたとします。
しかし、首里城は焼け落ちてしまいました。
この人物は首里城を観光することができなくなってしまいました。
その結果、首里城の思い出を作ることができなくなってしまいました。
この人物には首里城見学の思い出が無いので、私と出会ったとしても”首里城の話”で盛り上がることはないのです。
もしかすると唯一無二の親友になれたかもしれないこの人物とのご縁は、首里城の全焼によって無くなってしまったのです。
そういう人たちがどれくらいいることでしょうか?
年間観光客数をベースに考えれば、途方もない数字となります。
・・・その数字分の「ご縁」が一晩で焼失したのです。
これは大げさな話しではなく、それくらいの事が起きてしまったのです。
そう考えると、とても残念です。
首里城全焼で私にできること
- 義援金・寄付
- 写真のアップ
- 再訪問
私にも何かできることが無いかと考えてみました。
残念ながら、義援金・寄付金といった事くらいしか思いつきませんでした。
しかし、義援金・寄付金に関しては一旦クールダウンしたいと思います。
理由としては、義援金などを狙った詐欺が横行する可能性があるからです。
そういう輩もいるので、情報がしっかり出揃ってから、できることをしようと思います。
あとは、この旅行で撮った首里城の写真をアップする事くらいです。
もしかすると、再建に向けて必要なアングルで写真を撮っているかもしれないからです。
全焼してしまった首里城も、多くの方々の証言をもとに再建されていたそうなので、私のようなど素人の写真でも参考になればという思いです。
再建には30年とかそれ以上という話も出ています。
けれども、私はきっと再建された首里城を訪れ、この前と同じ場所で同じポーズをとり、写真を撮りたいと思います。
首里城 ありがとう
今回の火事は本当に残念でショッキングなものでした。
けれども、誤解を恐れず書きたいと思います。
テレビでは、まだ骨格が残る首里城が燃えている様子を流していました。
この様相には異様な美しさがありました。
首里城は、最後に、ものすごく綺麗なものを見せてくれたような気もするのです。
昔の人たちは、もしかすると、あんなふうに首里城が見えていたのかもしれません。
庶民の住まいとは明らかに違う大きな建造物が、ひときわ目立つ高台にあれば、それはそれは荘厳に見えたことだと思います。
最後まで、ありがとう。
琉球王国の外交政策
薩摩に攻め入られて琉球の歴史は終わります。
しかし、中国との貿易を継続するためには「琉球」という国が必要でした。
薩摩はそれを利用するために「琉球」という名前を残し、利用したそうです。
その時の琉球の偉い人たちは、武力では他国にはかなわないと判断しました。
その上で、どうしたら琉球という国が残るのかを一所懸命考えたそうです。
そして”敵を作らない”という外交に舵を切ったそうです。
戦って琉球を残そうとするのではなく、調和により残る外交を選んだということになります。
徹底的な”おもてなし”を当時の本土と中国に対して行いました。
琉球は薩摩と一緒に参勤交代で江戸に向かう途中、異国文化を最大限アピールしました。
琉球を治める薩摩としては、道々、こんなにすごい異国文化を統治しているのは薩摩だ!
というアピールになりましたし、琉球としても、琉球という王国があることを本土の人たちにアピールができるメリットがありました。
盛大に異国文化をアピールすればするほど、薩摩も琉球もメリットがある参勤交代でした。
そうして、琉球という王国は本土にも知れ渡り、琉球文化を今に残すことができました。
敵を作らず、戦わずして琉球を残したところに沖縄の先祖人の頭の良さがうかがえます。
一方、中国に対してもおもてなしを最大限行っています。
首里城の「南殿」以外は中国建築のように赤く塗り、訪れる中国の偉い方々に対して出す食事も、中国と同じ食器を取り揃え、それらに盛り付けて、もてなしたようです。
徹底的に相手を調べ、もてなす行為は、訪日した中国のお偉いさんを満足させたようです。
「こんなに小さな国にまで、わが中国の王様の文化(威厳)が浸透しているのか!」
という気持ちにさせたようです。
ちなみに、「南殿」はヒノキ造りの日本様式に作られていて、本土のお偉いさんを招くときに使われたと言われています。
「首里城」は以下のようになっています。
南殿
北殿
正殿
おもてなしの心は今でも沖縄に息づいています。
地図を広げて立ち止まっていれば、どこに行くの?と話しかけてくれて道を教えてくれます。
セルフタイマーで写真を撮ろうとすると、撮りましょうか?とシャッターを押してくれる。
本当に沖縄の方たちの優しさには感動しました。
その優しさには、長いおもてなしの歴史があるのだと思います。
おまけと首里城の写真をアップ
今回、首里城内を巡ってスタンプをすべて集めて押すと記念品をもらうことができました。
全部のスタンプを集めたところです。
そして、これが記念品です。
ミニクリアファイルとステッカーシールです。
ここからは、もしかしたら再建に役立つかもしれない画像のアップです。
特に説明はせず、ずらーっと順不同で掲載いたします。
再建を願い、この記事を終わりにさせて頂きます。